いつの日か再び珠洲で…20年続けた鮮魚店を休業した親子 それぞれの決断
元日の地震により休業を余儀なくされた珠洲市内の鮮魚店。
いつの日か再び珠洲で店を開きたい。
被災地の復興を見据え、それぞれに歩みを進める親子を取材しました。
この日、金沢市内に引っ越してきた1人の男性。
多原真吾さん33歳。
金沢に住むのは14年ぶりです。
多原さんの実家があるのは珠洲市。
去年までは、地元の商店街で父・健次さんと二人で鮮魚店を営んでいました。
近くの蛸島港で仕入れた魚をさばき、店の軽トラックで馴染みの飲食店に配達するなど忙しい日々を送っていた多原さん。
多原真吾さん:
「めんどくさいと思ったりかもありますけど、だいたいこの魚触ったりとか刺身作ったりっていうことは好きなので、まあ楽しいですね」
しかし。
元日の地震で鮮魚店は大きな被害を受け、近づくのも危険な状態に。
魚の配達に使っていたトラックも柱と納屋の下敷きになりました。
漁港もいたるところで地面が隆起するなどし、競りが再開する見込みは立っていません。
多原さん:
「魚とってきても揚げる場所もないし、ってなると場所あってもそういう連鎖ができん」
「魚もし買えて仕事出来たにしても買ってくれる人もいないし」
父・健次さん:
「19年この店でやってきたんだからね、なんか寂しい気持ちもあるけど、まあここまで壊滅的なら諦めもつくし」
20年近く続けた鮮魚店を休業せざるを得ない中、珠洲に残るのか、他所に移るのか。
多原さんは両親と祖母を連れて町内の施設へ避難し話し合いを重ねたといいます。
「難しいよな。」
「メッチャクチャ難しいですね」
「(多原さんが気軽に)わかったよとも言われし」
多原さん:
「もちろん本当はここで仕事をしていたいというか、住んでいたいっていう気持ちはあるんですけど」
父・健次さん:
「どっちかで言うたら、(息子は)新しく仕事探すしかないかなって思う」
それから、およそ1か月後。
多原さんの姿は金沢市の近江町市場にありました。