ALSと共に生きる 絆深める夫婦 闘病の4年間
大野 裕輝 記者:
「こんにちは。テレビ金沢の大野と申します」
髙橋 利裕 さん:
「髙橋です。よろしくお願いします」
金沢市に住む髙橋利裕さん。
髙橋 利裕 さん:
「ここに今、ヘルパーさんがケアしているのが…」
妻の利子さんです。利子さんは4年前、「ALS=筋萎縮性側索硬化症」と診断されました。
髙橋 利裕 さん:
「『奥さんALSですよ』と(医師に)言われて、最初は何のことかなという風に思ったんです」
ALSとは、全身の筋肉が徐々に動かなくなっていく病気で国が指定する難病の一つです。国内では約1万人、県内では少なくとも110人ほどがALSと診断されています。
髙橋 利裕 さん:
「首から下はもう指先まで全く動かない。でも、痛みとかかゆみとかはあります。耳もしっかりしてますし、頭もすごいです。キレキレです考え方も」
体の感覚や視力・聴力には異常はありませんが、この4年間で病状は進行し、今、利子さんが動かせるのは眼球のみです。この目の動きが人に思いを伝える唯一の手段です。
髙橋 利裕 さん:
「ら行ならこっち見て。ら行なら真ん中(見て)。ら行じゃない」
会話に使うのはひらがなが書かれた透明な文字盤。利子さんが視線を合わせた文字をひらがなの行ごとに絞り込み一文字ずつ、言葉にしていきます。
ヘルパー:
「や行?や行なら真っすぐ。や?ゆ?よ?『よ』。かおみえんじこしよ?」
髙橋 利裕 さん:
「自己紹介や。もしかして大野さんに自己紹介してほしいと思ってるのかも」
大野 裕輝 記者:
「就職で石川県に来て、今6年目になります」
看護師として働いていた利子さん。活発な性格で、海外旅行には毎年のように行っていたといいます。そして、41歳の時、利裕さんと結婚。子宝にも恵まれ、順風満帆な生活を送っていました。
しかし、5年前、利子さんの体に異変が現れます。
髙橋 利裕 さん:
「緩い坂道を歩いていると『しんどい』と言いだしてすごく違和感を感じる(ように)、でも病気だということは全く分からず1年過ごしてました」
体の不調は続くも原因がわからず、県内外の病院を訪ね歩いた利子さん。2020年10月、「ALS」と診断されました。
診断から、わずか半年後。利子さんは、呼吸機能が低下し手術で人工呼吸器をつける選択を迫られました。気管を切開するため、自分の声は二度と戻りません。
髙橋 利裕 さん:
「気切(=気管切開)する時の決断する時ってあるんですけど、その時に『死にたい』って言ってたんです。『子どもも小さいので絶対に生かす。延命治療するぞ』という風に強く僕から言っていたので」
病気に立ち向かう勇気を与えたのは、当時、小学校へ入学したばかりの長男・利久くんの存在でした。
利子さんの生活を支えるのは8人の介護ヘルパーです。1日を3人で交代しながら24時間体制で身の回りをケアします。
髙橋 利裕 さん:
「家族が本当に休む時間がないので。最初の頃って。今、充実しているので毎日仕事に行かせていただいています。すごく貴重な時間だと思っています」
こうしたヘルパーたちの支えによって利子さんは、週に1回程度、家族とともに外に出かけることができています。
この日、利子さんたちが向かったのは金沢市にある県立図書館。ALSをテーマとしたドキュメンタリー映画の上映会です。県外での上演を知った利裕さんの働きかけで実現し、会場には100人以上の観客が集まりました。
髙橋 利裕 さん:
「私の妻、髙橋利子ですけどもALS闘病中です。皆様が生きるということを改めて考えていただく機会になればと願っています」
会場では、利子さんと同じ病と闘う患者も思いを語りました。
ALSと診断された畠中 一郎 さん:
「とにかく何か目標を立て、それに向かってまっしぐらに努力をする。それも残された自分の人生の目標にする」
髙橋 利裕 さん:
「(ALS患者も)生活できるんですよというのを皆さんに知ってほしいと思います。この病気で諦めて死にたいと思うのではなくて、生きたいと思うようになってほしい」
上映会参加者:
「利子さん、無事できて良かったね」
ALSと診断された後、利子さんは自身の半生について、家族への思い、そして、この病気についてパソコンに文章を書き溜めていました。中には、看護学生たちとのやりとりも…
(Q. 今の病気にかかった時に一番こわいと思ったことは何ですか?)
「意思が伝わらないこと、間違った解釈をされ、動かされたり動いてしまわれること。痛みや苦痛を訴えることができないし、気付いてもらえなくなる怖さがあります」
(Q. 今後の人生をどう考えていますか)
「ヘルパー事業所を立ち上げたい」
(Q. 今の夢、心の支えは?)
「海外旅行や国内旅行をしたい」
ALSと向き合い、生きる、利子さんの言葉です。