【そもそも.】仙台駅の「ペデストリアンデッキ」って何?1981年完成当時の映像も
最近耳にする新しい言葉、聞いたことはあるけれど、なかなか深くは知らない言葉…
そういった言葉を〝そもそも〟からお伝えする。
そもそも…ペデストリアンデッキの〝ペデストリアン〟は何か?
Qこの場所の名前、ご存知?
「知らない」
「あぁあるある!覚えてないさ!」
「分からない分かるわけないじゃない!」
「ペデストリアンデッキ。意味は?何だろう…?
「全然わからない考えたこともなかった…」
「なんで出来た?なんで出来た…」
「シンボルっていうか、あって当たり前になっている」
「歩行者…?」
ペデストリアンは英語で「歩行者」という意味、ペデストリアンデッキは日本語に訳すと「歩行者通路」となる。
仙台市と当時の国鉄が約17億4千万円かけ1978年に完成。
40年以上の歴史があるものだ。
1978年に撮影した映像は、ペデストリアンデッキの建設工事の様子をとらえている。
職人さんがレンガを1枚1枚丁寧に並べ、そして徐々に通路の骨組みも伸びていった。
仙台駅を起点に青葉通りにまで達している。
ペデストリアンデッキによって駅を出た人たちの人の流れも徐々に変わっていった。
そして1981年には西口広場全体の完成式典も行われた。
映像から懐かしさを感じる一方、今と変わらない姿であることがよく分かる。
都市工学を専門とする東北工業大学の泊准教授は「車と人を分けたい思いが強かった」と話す。
デッキが出来た1980年前後は自家用車の普及が進んだ時代で、同時に増えたのが交通事故。
死亡事故の件数をグラフで見てみても右肩上がりに増えていた。
事故が起きるなら「車と人が平面で交差しないように」とデッキが作られたという。
街頭インタビューでも「信号待ちが無くてよい」「車が通らないので歩きやすい」という声が聞かれた。
仙台駅のペデストリアンデッキは当時、革新的だったそう。なにがすごかったかは、この形状。
全国的には大きな広場のように全面を覆うものが主流だったが、仙台は、吹き抜け部分が多い。
これにより、デッキの下にも光が入る。デッキの上も下も明るく、安心して通れる空間になったという。
泊准教授は人が通るだけではなく人が留まる場所になるとより良いのでは、とも話す。
ローマ字で「SENDAI」と書かれたモニュメント。
去年10月に設置されたばかり、すでにフォトスポットの定番となりつつある。
ただ通るだけではなくそこに人が留まって喜べる仕組みが増えれば、さらに駅周辺の賑わいが大きなものになるのではということだった。
ここまで、ペデストリアンデッキの「そもそも」についてみてきたが、取材を通して私が感じたことはこちら。
そもそもペデストリアンデッキとは「交通安全を願い生まれた賑わい創出の立役者」宮城の玄関口そのシンボルとしてさらなる進化にも期待したい。