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「最初は頭が真っ白に」 石川県で被災した出雲市在住の男性 当時の様子を語る 「被災地でいまだに苦労されてる方がたくさんおられて、自分の無力感みたいなものを今でも感じます」 島根県

2024年1月18日 18:09
「最初は頭が真っ白に」 石川県で被災した出雲市在住の男性 当時の様子を語る 「被災地でいまだに苦労されてる方がたくさんおられて、自分の無力感みたいなものを今でも感じます」 島根県
能登半島地震から1月18日で18日目。島根県出雲市で人力車を運行する男性が1月1日に仕事のため石川県を訪れていました。そこで突然襲った地震ー。当時の様子を語りました。

島根県出雲市に住む糸賀太郎さん。島根県出雲市大社町の神門通りで、観光用の人力車を運行しています。しかし、冬場は人力車の利用が少ないことから2023年から年末年始は県外で宿泊業の手伝いを行っています。

12月中旬、向かった先は、石川県珠洲市の海岸に面した旅館「ランプの宿」。知り合いが経営していたことから糸賀さんは2月までランプの宿に滞在し、接客などの手伝いをする予定でした。

1月1日。この日は旅館の仕事は休みで糸賀さんは、外出をしていました。そして、夕方4時過ぎ、旅館に戻る道中でした。

糸賀太郎さん
「未だかつてない、体験したことのない揺れで、すごく横揺れをするような感じ。最初は頭が真っ白になって」

石川県珠洲市の隣、能登町で車を運転していた時、地震が襲ったのです。幸い糸賀さんにケガはなく車も無事で、1月1日の夜は能登町の道の駅まで2キロほど移動し、車中で一泊。糸賀さんはキャンプ用品として車に寝袋を積んでいたため、緊急時の寝る場所として、役に立ったといいます。

1月2日。道の駅を出発した糸賀さんは、約7キロの道を移動。石川県輪島市の能登空港に滞在しました。ここでは食事などが提供され、空港内のトイレも途中から使えるようになり、避難した住民などと、1月4日まで過ごしました。そして、1月5日に石川県金沢市に移動し、その後島根県出雲市へと帰ってきました。

仕事先の旅館に、荷物や仕事用のスマートフォンは置いたまま。当時、ランプの宿に宿泊していた客9人は1月2日ヘリコプターで救助され、けがはなかったということです。従業員も全員無事で現地に残って復旧作業などを行う中、自分だけ島根県出雲市に帰ってきたことに複雑な心境だといいます。

糸賀太郎さん
「被災地でいまだに苦労されてる方がたくさんおられて、自分の無力感みたいなものは今でも感じます」
「日本海側は大丈夫かな。出雲は大丈夫かな。津波ないかな。なんとなくやっぱり自分ごととして考えられていなかったのが、今回こういう経験をしていつ何時起こるかというのがほんとに分からないと感じました」

島根県出雲市に戻り人力車の仕事を再開した、糸賀さん。

糸賀太郎さん
「できるかぎり日常経済活動をして、しかるべきタイミングで能登半島に戻って力になれればいいかなと思って、その準備を今の段階ではしている」

いつか、石川県に恩返しがしたい。能登半島の復興を願いながら、自身も防災への意識を強く持ちながら島根県出雲市での仕事に臨んでいます。