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「諦めない強さは、いつだってみかんが教えてくれた」西日本豪雨からまもなく6年…生産者を通して見る町の現在地

2024年7月5日 18:48
「諦めない強さは、いつだってみかんが教えてくれた」西日本豪雨からまもなく6年…生産者を通して見る町の現在地

愛媛県内に甚大な被害を出した西日本豪雨災害からまもなく6年を迎えます。関連死を含め、県内で最も多い13人の命が失われた宇和島市吉田町。2人のミカン生産者を通して見た、町の現在地です。

ミカン農家 坂本辰幸さん:
Q.6年振り返って?
「長かったようで短かったような、もう分からなんだですね」

ミカン農家 中島利昌さん:
Q.6年経って変わったことは?
「まだ去年まではミカンの木を作ることだけに一生懸命やった。今年からは秋にハサミの音がする。ペチペチと」

いまから6年前。2018年、7月7日の西日本豪雨。町内の2200を超える場所で土砂崩れが発生した宇和島市吉田町では、小学生を含む13人が亡くなりました。

ヘリからのリポート:
「見る限り一面、みかん畑が崩れてますね。これ全部そうか…全部だな。ひどいなこれ」

“愛媛ミカン発祥の地” 土砂崩れで4分の1の園地が失われた

江戸時代にミカン栽培が始まった“愛媛ミカン発祥の地”。町を代表する産地の玉津地区では、園地のおよそ4分の1が土砂崩れによって失われました。

先月25日。玉津地区で代々続くミカン農家、中島利昌さん64歳。去年、農作業中に足首を骨折したといいますが、ミカン作りへの情熱は衰えません。

350本のミカンの木を失い…被災直後の中島さんは

6年前…

中島さん:
「あ~、ハァ…」

土砂崩れによって350本のミカンの木を一瞬にして失った中島さん。

「なぁきれいにできたら東京行って、どんなお客さんに食べてもらうやろういうミカンなんやけど…どこの誰にも食べてもらわずに終わるんですよ、この子らは…見れば見るほど辛いです」

6年越しにようやく実を結んだ小さなミカン 収穫できることの喜び

再び立ち上がることを決意した中島さん。1本1本。産地の再生に向け、希望の苗を植え続けてきました。

中島さん:
「これは5年生のミカンの木になったんですけど、まだ今年も上は花を摘蕾して芽をふかしてやる。下半分ぐらいに実を成らしてやる。木を大きくしながら収穫できるように。ようやく初収穫です」

あの日から6年。ようやく実を結んだ小さな小さなミカン。

中島さん:
「今までここで災害に遭うまでにできていたミカンみたいにおいしいミカンではない。それでもミカンを収穫、ハサミが入れれるという楽しみですよね」

6年越しに迎える、初収穫という大きな節目。

「同じ災害復旧した園地でもまだ苗木が植えられない、植栽できてないところもありますし手放しでは喜べないですけど、逆に(この園地を)見に来てもらってこういう木になりましたよって、みなさんにご報告がてらお話したいと思います」

大規模な復旧工事進むも…今年苗木を植えられる農家は3軒のみ

今年3月。工事が完了した園地で、中村知事がミカンの苗木を植え付けました。

中村知事:
「まだ一部ではありますが こうして植栽にこぎつけたということで、残る地域も順調に進んでますので大きな励みにもなろうかと思いますし」

玉津地区で、3年前に始まった大規模な復旧工事。ここ白浦工区では、いまも園地再生に向けた作業が続いています。

ミカン農家 河野道成さん:
「やっとここまで来たなという感じですね。ここから先長いですけど頑張って行きたいと思ってます。本格的にとれるのは10年先になると思います」

今年、この工区で苗木を植えることができたのは、営農再開を予定している10軒の農家のうち3軒だけです。

先月下旬。白浦工区でミカンを作って44年目の坂本辰幸さん、64歳です。被害にあったのは、10カ所あった園地のうちの1カ所でした。

しかし…

坂本さん:
「私のとこでは一番広い畑がなくなったいう感じです」

あの日、坂本さんが失った園地。

「みんな頑張ってもらいよんですけどなかなか。やっぱり山1つ改良するいうのは大変だということですね」

先月24日。白浦工区の進捗状況を説明する報告会が開かれました。その中で…

県職員:
「本年度につきましては、その下の部分を一時利用地に指定を開始するということで」

坂本さんが所有していた園地の一部で、今年度中にミカンの栽培が可能になることが報告されました。

坂本さん:
「少しずつでも前に進んでいるなというのは実感しました。今度現地に行って自分の土地がどういうふうになるか確定するんだろうと思います。1年でも長く後継者が育って続けられたらいい」

来年度に完了予定の白浦工区を含む玉津地区の復旧工事。再来年度に完了予定の立間地区が復旧すれば、吉田町のミカン園地は復興に向け、大きな一歩を踏み出します。

災害を乗り越え、再び愛媛を代表するミカン産地へ。生産者の願いが込められたバトンがつながって行きます。