【引退】燕市出身のフルート奏者 「笛人」本宮宏美さん 透き通った奏に密着 《新潟》

原動力は「悔しい思い」
記者
「ここまで続けてこられた原動力とは?」
本宮宏美さん
「やればやるだけ、いっぱい悔しい思いがありました。後悔というか、本番前まですごくできたのに本番になって魔が差すというか、できなかったり、もっといいコンサートになったのにとか、絶対反省がその直後に出てくるので満足ができなかったっていう。今回のファイナルコンサートはその後悔をどこにも消化できないので、ベストを尽くそうとは思います」
地元で最後のコンサート
10月、地元・燕市での最後のコンサート。生まれ育った故郷の地。「笛人」としての最後の曲を聞こうと多くの人が駆けつけました。幕の向こう側は満員の人。ずっと共にしてきたフルートと一緒にその時を待ちます。
そして、開演。演奏するのは「息吹」です。
本宮さんは2011年に初のオリジナルアルバム「息吹」をリリース。その後、105曲13枚のアルバムを発表しました。
6歳からピアノを始める
1984年、3姉妹の末っ子として誕生した本宮さん。生まれつき左足に一生付き合っていかなくてはいけない障がいがありました。6歳からピアノを始め、運動ができなかった分、音楽に没頭し、人一倍音楽の知識をつけてきました。
フルートを吹くため吹奏楽部に
中学校に入った本宮さん。フルートを吹くため吹奏楽部に。
本宮宏美さん
「男の子と一言も喋らないと決め込んだ、ものすごく大人しい、ザ・ガリ弁の。あとフルートしか興味がなかったという」
憧れの楽器・フルート。しかし最初は音が全く鳴らなかったと言います。
本宮宏美さん
「吹奏楽部に入りたいというよりも、フルートをやるのだっていうものを掲げて来たのですけど、最初に仮入部で、じゃあ吹いてみようって言った時に私だけ全然音が鳴らなくって。で、みな上手に1発目から鳴ったりするのですけど、一番才能がなくて」
フルートではなく他の楽器を勧められましたが。
本宮宏美さん
「ずっと貯めていたお年玉でフルート買って、次の日、もうずっと前からあったかのように先生に私楽器持っていますっていう感じで、それで無理やり、補欠の補欠の補欠ぐらいに入れていただいて」