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【引退】燕市出身のフルート奏者 「笛人」本宮宏美さん 透き通った奏に密着 《新潟》

2023年12月29日 18:00
【引退】燕市出身のフルート奏者 「笛人」本宮宏美さん 透き通った奏に密着 《新潟》
本宮宏美さん
ことし放送したテレビ新潟の「新潟一番」から話題となった特集をお伝えします。フルート奏者、燕市出身の「笛人」本宮宏美さん。今年で「笛人」人生に終止符を打ちます。10月に地元・燕市で行われたコンサートの様子やこれまでの歩みと共に、その思いに迫ります。

原動力は「悔しい思い」

記者
「ここまで続けてこられた原動力とは?」

本宮宏美さん
「やればやるだけ、いっぱい悔しい思いがありました。後悔というか、本番前まですごくできたのに本番になって魔が差すというか、できなかったり、もっといいコンサートになったのにとか、絶対反省がその直後に出てくるので満足ができなかったっていう。今回のファイナルコンサートはその後悔をどこにも消化できないので、ベストを尽くそうとは思います」

地元で最後のコンサート

10月、地元・燕市での最後のコンサート。生まれ育った故郷の地。「笛人」としての最後の曲を聞こうと多くの人が駆けつけました。幕の向こう側は満員の人。ずっと共にしてきたフルートと一緒にその時を待ちます。

そして、開演。演奏するのは「息吹」です。

本宮さんは2011年に初のオリジナルアルバム「息吹」をリリース。その後、105曲13枚のアルバムを発表しました。

6歳からピアノを始める

1984年、3姉妹の末っ子として誕生した本宮さん。生まれつき左足に一生付き合っていかなくてはいけない障がいがありました。6歳からピアノを始め、運動ができなかった分、音楽に没頭し、人一倍音楽の知識をつけてきました。

フルートを吹くため吹奏楽部に

中学校に入った本宮さん。フルートを吹くため吹奏楽部に。

本宮宏美さん
「男の子と一言も喋らないと決め込んだ、ものすごく大人しい、ザ・ガリ弁の。あとフルートしか興味がなかったという」

憧れの楽器・フルート。しかし最初は音が全く鳴らなかったと言います。

本宮宏美さん
「吹奏楽部に入りたいというよりも、フルートをやるのだっていうものを掲げて来たのですけど、最初に仮入部で、じゃあ吹いてみようって言った時に私だけ全然音が鳴らなくって。で、みな上手に1発目から鳴ったりするのですけど、一番才能がなくて」

フルートではなく他の楽器を勧められましたが。

本宮宏美さん
「ずっと貯めていたお年玉でフルート買って、次の日、もうずっと前からあったかのように先生に私楽器持っていますっていう感じで、それで無理やり、補欠の補欠の補欠ぐらいに入れていただいて」

「歴史を変えたね」

フルート担当に滑り込んだ本宮さん。その後、部長として部員を引っ張る存在に。

本宮宏美さん
「私の時は めちゃくちゃ弱くて地区大会から県大会に上がれたことがない学校で。部長になった時に県大会出場って掲げるのをやめて西関東大会出場というのをずっと掲げてきていて、そしたら本当に県大会と奇跡的に西関東大会まで行ったのが3年目の時で、あの時に、なんか夢って本当に言うと叶うのだっていうのをあの多感な15歳前後の時にすごい歴史を変えたね、なんて言って、みんなで燃えていたいい思い出がすごくあります」

その後大学でもフルートに打ち込み、アメリカではオーケストラにも参加。2011年、東日本大震災をきっかけに「笛人」としての活動を始めました。当初から「笛人」の音楽を一緒に作ってきた笠原さん。本宮さんの演奏は以前と比べ深みが増したと話します。

「完成度は格段に上がっている」

プロデューサー笠原厚浩さん
「楽曲とか音色とか、そういう面ではいい意味で洗練されていい意味で深みが出て、進化と深化という言い方をしていたのですけど、進化っていうのは進む進化ともう1つはより深くなる深化があると思うのですけど、10数年のいい意味での重みというのはあると思うし、微妙な、例えば音の消えどころだったりとか入り口の大きさだったり、そういうのを全てやっぱり完成度っていうのは格段に上がっていると思うし、音も楽曲も深くなった」

「苦楽を共にしてきた仲」 20年使うフルート

記者
「このフルートは、いつから使われているのですか?」

本宮宏美さん
「これは大学入ってすぐなのでもう20年くらいです。楽器はやっぱり生き物なので こう息をしている、息を送っているのですけど、その自分の息をずっと送り込んでいると、どんどん楽器も息をして元気になってくるので、最初私が下手だったので楽器が全然鳴ってくれなくて、どうやって吹いたらいいのだろうって思っていたのですけど、本当に苦楽を共にしてきた仲なので、今はもう何を言わなくても応えてくれるっていう感じ」

諸橋アナと同学年トーク

2人:「お久しぶりです」「お会いしたかったです」

諸橋アナ:「私たち、同じ年ですよね、確か」

本宮さん:「来年40歳」

諸橋アナ:「私、もう40になった」

本宮さん:「同じ学年ですからね」

諸橋アナ:「40年の人生の中で…」

本宮さん:「色々あったでしょ?」

諸橋アナ:「いやいや、その話は私が聞きにきたのですよ(笑)」

本宮宏美さん
「例えば本番に向かうまでのコントロールとか、そこに行きつくまでのコンディションとか、もう40にもなると色々とコンディションが大変で。人前にとてもじゃないけど出られる環境の顔ではないとか、色々あるわけですよ」

諸橋アナ
「ご自身の音色って12年の中で変わったと思いますか?」

本宮宏美さん
「相当、昔はパワーもあったし筋力もあったので力んでいたのですね。だから強く吹くことが、性格が男だってよく言われるのですけど、フルートって華奢で、か弱いイメージが強かった分だけ、私は違うっていうのも含めて力んでいたのだと思うのです。けど今はそうしなくても十分強いから、いい意味で力が抜けるっていうか。気を負わなくてもいいっていうのが出てきて、抜く方法も知ったり、そっちの方が聴いている皆さんにとっても疲れずに心地いいだろうなとか、だんだん気づき始めてきて」

諸橋アナ
「本宮さんのキャリアを順番にCDで聴いてみたくなりました」

本宮さん
「全然、音が違いますよ」

映画「夢は牛のお医者さん」の音楽も

地元・燕市の故郷コンサートは12回にのぼり、子どもたちにもフルートの音色を伝え、雪上やひまわり畑など野外でのライブも数多く行ってきました。そしてその楽曲は映画にも。2014年公開の「夢は牛のお医者さん」のサウンドトラックを製作するなど活動の場を広げてきました。

本宮宏美さん
「初めて音が鳴った中学校1年生の時のあの感動、綺麗な音にどんどん鳴っていく時の感覚っていうのがずっと残っていて、それは今40歳になっても変わらないので、その音がどんどんクリアに綺麗に通っていって透明度が増していくみたいなことをずっと追い求めていたら、あっという間に四半世紀が過ぎていて、なんか中学校1年生の時の自分の感動がずっと私を支えているのだなと思って」

「今ならファイナルって言える」

本宮宏美さん
「この笛人という存在を、どうやったら一番誇りを持って、いい形で終えられるかっていうことはずっと自分の中の生き方としてもテーマにあったので、まずは10年間継続して一生懸命やろうと思っていて、10年って経った時に新型コロナウイルスの流行でコンサート自体がどんどん縮小縮小っていう時で、ちょうど去年の終わりぐらいに、円みたいな最初のスタートがあったとしたら、絶頂の一番盛り上がりを迎えてまた初心の頃に戻るような感覚が戻ってきた時があって、それは目の前のお客さんの再会とか12年間かけて、その時に一周したっていうか、縁として繋がったっていう感覚があって、今なら自分の中でも悔いなく、皆さんに対して感謝と今まで一杯色々な場所で吹かせて頂いた経験が全部誇りになって胸を張ってファイナルって言えるかなという感じで。ストーリーが描けたので。」

最後の演奏曲も「息吹」

燕市で行われた故郷コンサート。ファイナル最後の曲は最初 にも演奏したデビュー曲「息吹」でした。

楽曲はこれからも生き続ける…笑顔のコンサートとなりました。



※2023年11月10日「夕方ワイド新潟一番」放送より
※本宮さんのフルートの音色を含む詳しい内容は、リンクから動画をご覧ください。