【特集】地震がもたらした“中山間地の過疎” 震度6強の揺れに襲われた小千谷市の集落が直面する課題 《新潟》
活気を取り戻そうと小千谷市の集落では地震から6年後に農家民宿が誕生しました。
ただ歯止めの効かない過疎に住民の高齢化……
集落は持続の道を探っています。
首を垂れる稲穂、まもなく収穫を迎えます。
〈細金 剛さん〉
「作物って成長が分かるでしょ。収穫の喜びがあるでしょ。それがまたいいんですよ」
農家の細金剛さん72歳です。
父から引き継いだ田んぼで30年以上米を育ててきました。
自然豊かな小千谷市の若栃集落。 市の中心街から車で15分ほどの山間にあります。
棚田が広がり多くの人が米作りを生業としてきました。 しかし……
〈細金 剛さん〉
「ドカーンと来て横入りが始まってもう物がみんなぶっ飛んでくるんですよ。いやあショックですよ。農地がズタズタになって」
2004年の中越地震……
小千谷市は震度6強の揺れに襲われ中山間地を中心に大きな被害が出ました。
若栃集落でも住宅の倒壊や土砂崩れが発生。
ケガ人はいなかったものの農地の約3分の2が被害を受け多くの住民が生活の基盤を失いました。
〈細金 剛さん〉
「やっぱりこの地域は農家が主体ですので田んぼがやられるっていうのはものすごいショックがいっぱいなんで耕作意欲がなくなっちゃって、なんとか意欲を立てるために色々努力して結局100%直したんですね」
どうしたらこの集落を残せるのか細金さんたち住民は話し合い、震災から6年後にある施設をオープンさせます。
旬の野菜や地元で取れた山菜でのおもてなし。 そして落ち着いた雰囲気の和室でくつろげる空間。
農家民宿「おっこの木」です。
〈おっこの木 渡部 むつ子さん〉
「私の女将としての目標はとにかく古民家らしさでゆっくりとのんびりしていただきたい」
建物は築およそ160 年。
地震の被害を受け住み手がいなくなった古民家を住民融資で買い取り民宿に改装。
2016年に営業を始めました。
住民たちは「おっこの木」を拠点に集落に人を呼び込んできました。
多い時では年間500人ほどが訪れるなど集落に活気を生み出しました。
「懐かしい田舎のおばあちゃん家のようにくつろいでほしい」
そんな気持ちで宿泊客をもてなしてきました。
◆減少する集落の人口
〈おっこの木 渡部 むつ子さん〉
「くじら汁でございます」
〈ランチを食べに来た人〉
「懐かしいよ、懐かしい」
「子供の頃、毎日クジラくじら汁でした。美味しいですよ、いい味しています」
震災後模索を続けてきた住民たち。
ただ震災前160人以上いた集落の人口は今では70人ほどに……。
働き手が足りず、このまま民宿を続けられるのか悩むことも多くなってきたと言います。
〈おっこの木 渡部 むつ子さん〉
「この魅力はんだろうと思うと『農業』ですよね。だから農業に興味があってそれを自分 の収入にできるっていう気持ちの強い方が来てくだされば私は続くんじゃないかなと思いますけど」
迎えた今年のお盆。
大きな太鼓を取り出して何やら準備が始まりました。
集落がずっと大事にしてきた盆踊りです。 太鼓の音と共に浴衣姿の住民や帰省客が集まりました。
〈若栃集落の住民〉
「お盆になると若い子が来るから楽しいよね。賑だよね」
子供の姿もありいつもより賑やかな夜です。
若栃集落では中越地震の翌年に地元の小学校が閉校しました。
生まれ育った地域への愛着。 ただ仕事や子育てを考えると……
〈帰省した人〉
「高齢化で子供いないな、同級生もあんまりいないなっていう感じです。生まれ育った場所なので残っていて欲しいですけど、こう自分がここで住めるかっていうとちょっとそれはできないかなっていうのがありますね」
集落が直面する過疎と高齢。
〈細金 剛さん〉
「元はこの踊りの輪が3重にも4重にもなったんですよ。今1重がやっとできるかできないかでしょ」
今年も盆踊りの日を迎えられた喜びと寂しさが交錯します。
住民たちの手で運営されている農家民宿おっこの木。
宿泊だけではなく気軽に立ち寄ってもらおうとバーとして開放するなど新たな試みを続け ています。
また長岡花火や地元の祭りに合わせて予約の問い合わせも多く寄せられました。
地域にねざした民宿。
外から人を呼び込むことがこれまで以上に大切になると細金さんは感じています。
〈細金 剛さん〉
「できるだけ魅力を作って外部から人を入れてその人が運営をしてくれるようになると理想的な形になるんですけどね。他の集落見てもそうですけども、人が減って最後には限界集落みたいなことになるでしょ。そうやっぱならないように頑張っていこうかなと思っ ている」
若栃集落をこの先も……
住民たちは過疎と向き合いながら模索を続けていきます。