【特集】新潟地震から60年 「液状化現象」 当時の証言から浮かぶ課題とは《新潟》
能登半島地震で深刻な被害をもたらした液状化現象。60年前の新潟地震では新潟市の中心部で水が噴き出し、アパートは傾き、倒れました。
液状化は津波よりも早く発生し、避難をさまたげる恐れがあるといいます。その時、住民たちはどう動いたのか。過去の震災から課題が見えて来ました。
水浸しになった道路。
その上を歩く住民たち……。
60年前のあの日、住み慣れた街は一変しました。新潟市中央区の関屋地区に住む加藤武さんです。
加藤武さん(67)
「やっぱり水がすごかったですね。トラックが通るたびに水が家の中に飛び込んでくる」
1964年6月16日に発生した新潟地震。当時の映像には“ある現象”がとらえられていました。
地面から噴き出す水。液状化現象です。
新潟市の中心部はまたたくまに浸水。
川岸町では、4階建てのアパートが傾き、倒れました。
当時、新潟市の浜浦小学校に通っていた加藤さん。給食の時間に大きな揺れに襲われました。
自宅は学校から1.5キロほどの場所にあります。川岸町のアパートからは約300メートル。地震の後、津波が来ないことを確認し、約20分かけて歩いて帰宅しました。
近所はすでに泥水で埋め尽くされていたといいます。
自宅にも異変が。
加藤武さん
「向こうまでずっと廊下だった、それが波を打っていた」
Q家は傾いた?
「すごいですよ、みんなずーっと潜っていった」
液状化により建物は30センチほど沈みました。さらに床下からは大量の砂が。
加藤武さん
「家の中から引っ張り出した砂、液状化です。あちこちに山にしたと思う。そんな量じゃない、この部屋も仏間もすごいことになっていた。みんな床をはがして砂をとっていました」
自宅を直すまで約3カ月間は、庭で生活をしていたといいます。
「この世の終わりかと」
関屋地区で寿司店を営む宮北邦昭さんと由紀さんです。
宮北邦昭さん(73)
「この世の終わりじゃないかなと思うような」
宮北由紀さん(78)
「これグラウンドですよね。真ん中から噴き出た」
学校のグラウンドから水が
当時、川岸町にあった新潟明訓高校に通っていた由紀さん。地震発生時はすぐに机の下に隠れたといいます。窓の外に目をやると。
宮北由紀さん
「グラウンドから水が噴き出ていたんです、大量の……」
これは、発生直後に撮影された新潟明訓高校の様子です。
グラウンドには多くの生徒が避難しています。
そのすぐ近くでは泥水が噴き出しています。
宮北由紀さん
「もうドーっと垂直に出ていたんですね、本当に垂直に。もう怖いと、それしかなかったです」
学校から自宅までは数百メートル。歩いて10分ほどの距離です。由紀さんは液状化で水浸しになった道を歩き、なんとか帰宅したといいます。
宮北由紀さん
「家の中入るすれすれぐらいまで水が来ていた。引くまで結構、日数がかかった気がします」
自宅は半壊の判定を受けましたが、その後復旧し、住み続けることができたといいます。
津波避難と液状化
新潟地震で大きな被害をもたらした液状化。この地震を契機に本格的な研究が始まりました。
液状化を研究する新潟大学の卜部厚志教授は、液状化は津波が来るよりもずっと早く発生していたと指摘。その上で避難の大きな妨げになると警鐘を鳴らします。
新潟大学 災害・復興科学研究所 卜部厚志教授
「揺れ終わった直後から液状化は始まる。その後に日本海側ですと10分とか15分以内に津波が来る。逃げなきゃいけないんですけど、砂が噴出している。避難しなければいけないが道路が使えない。というのが複合して起こる、それが一番まずいパターン」
元日の能登半島地震。新潟市では最大震度5強を観測しました。
すぐに津波警報が出され、60年前と同じように液状化も発生しました。
関屋地区に住む加藤武さんです。液状化で被災した自宅はその後、基礎を入れ直し、傾きを修正。60年たった今も住み続けています。
加藤武さん
「10年先のやつが明日来るかもしれませんからね。備えだけですね、備えだけあればどうにかなりますがね」
寿司店を営む宮北由紀さん。元日の地震では何も持たずに着の身着のまま避難したといいます。
宮北由紀さん
「新潟地震を経験したというのを踏まえて、その地震を味わったからこそ怖さがわかるというか。忘れません、だからその記憶があるから、地震があると怖いというのが鮮明によみがえってきて」
“作戦”を立てて避難を
津波からの避難は現在も原則、徒歩での移動が求められています。もし津波と液状化が重なって発生したら。近くに避難所がない地域では。
新潟大学 災害・復興科学研究所 卜部厚志教授
「この辺の家の人はこの道を使ってこっちの山に行くとか、ここの辺の方はこの道を使って国道に上がるとか、戦略・作戦を立てて地域で練習をして既存の民間の建物を活用して。その時だけ避難をさせてもらう、行政が中に入って地域のみなさんと持ち主とやらなきゃいけない」
2024年6月14日「夕方ワイド新潟一番」放送より