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「なんで自分がこうなっちゃったんだろうと」実行犯の素顔が…接見で見えた元死刑囚の“光と闇” 松本サリン事件私の30年③【長野】 

2024年6月26日 20:40
「なんで自分がこうなっちゃったんだろうと」実行犯の素顔が…接見で見えた元死刑囚の“光と闇” 松本サリン事件私の30年③【長野】 
西田公昭教授と遠藤誠一元死刑囚

「松本サリン事件 私の30年」3回目は、実行犯の心理調査のため接見した専門家です。
元死刑囚の素顔、そして、オウム真理教の今に迫ります。

オウム真理教の教団幹部、遠藤誠一元死刑囚。

松本サリン事件の実行犯のひとりです。

【立正大学の西田公昭教授】
Q.遠藤誠一とは
「基本的には礼儀正しいですよ。優秀だし頭もいいわけですから」
「殺人鬼というような鬼のようなイメージとか、悪いことをしたから悪い性格とか、それは完全に間違った見方。そういうのではないです」

こう語るのは、事件から6年後の2000年、遠藤誠一元死刑囚に鑑定調査のため接見した立正大学の西田公昭教授。

西田教授はカルトや悪質商法などの心理操作について研究しています。

【立正大学の西田公昭教授】
「私と会ったときには、大変後悔はしているわけですが、なんで自分がこうなっちゃったんだろうと、自分自身で自分のことがわからない状態だったと思います」「彼らは良いことだと思って言われたままに行動したそれが殺人だった」

松本サリン事件を起こしたのは麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚を教祖とするオウム真理教でした。

オウム真理教は1987年、ヨガサークルを運営していた松本元死刑囚が立ち上げました。高学歴の若者たちを重視した勧誘を行い、信者には弁護士や医師などのエリート層も多くいました。

1990年「真理党」を結成し、信者などとともに衆議院議員選挙に出馬し、全員が落選したことも。

【松本智津夫元死刑囚】
「今回の選挙の結果は、はっきり言って惨敗」

“国家権力が票のすり替えを行っている”。敗因をこう語り、社会への敵視を強めました。

そして、山梨県旧上九一色村に建設したサティアンと呼ばれる巨大な施設で、猛毒「サリン」の製造を始めます。
松本サリン事件は市内に建設した松本支部道場をめぐる土地の明け渡し裁判の判決を控え、オウムが裁判の妨害とサリンの殺傷能力を確かめるため裁判官の官舎近くでサリンをまいたとされています。

遠藤誠一元死刑囚は猛毒のサリンを製造し、犯行当日、松本市内でレンタカーを借りて教団のメンバー7人でサリンを噴霧しました。

【立正大学の西田公昭教授】
「彼らは長い間、麻原彰晃のもとで同じような修行をしているメンバーだけで生活していました。そういうところで目や耳から入ってくる情報というのは全てオウムにとって都合の良い情報なわけです。つまり殺人をも正当化する理論がある」

麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚や遠藤誠一元死刑囚などは2018年に死刑が執行されました。

しかし、公安調査庁によりますとオウム真理教は現在も後継団体として麻原への絶対的帰依を明示する「Aleph(アレフ)」、そして「山田らの集団」、さらに、麻原の影響力を払拭したかのように装う「ひかりの輪」の3つの組織を中心に活動を続けているといいます。

公安調査庁は去年1年間に15都道府県、のべ43施設に対して立入検査を行ってきました。

このうち「Aleph(アレフ)」では死刑執行後も変わらず“麻原絶対”を掲げ、麻原への帰依を深めるための活動等を行っているといいます。

また、施設内の祭壇等には麻原の肖像写真も。

構成員は現在も、過去の麻原の説法映像を視聴しているといいます。

【立正大学の西田公昭教授】
「(今もあるのが)カリスマへの依存だと思います」
「教祖は亡くなったが、教祖というのは別に心の支えなので、心の中にはいることはできます。そういう意味で彼らの信仰は続けることはできるわけですよね」
「公安調査庁がマークするように、また彼らが暴走するような行動を取らないとも言えないわけですね」

東京都足立区入谷。

公園には、真っ赤な旗が並んでいました。
その旗には、『オウム、カッコ、アレフ、断固反対』という文字。

「サリン事件を忘れないぞ」
「忘れないぞ~」
「出ていけ~」
「出ていけ~」
「危険集団、オウムは解散しろ」
「解散しろ~」

【足立入谷地域オウム真理教(アレフ)対策住民協議会の会長 横山修平さん】
「この辺の窓を開けてカーテン越しに(信者が)のぞく姿が」

足立入谷地域オウム真理教(アレフ)対策住民協議会の会長、横山修平さんです。

この地域のビルには15年ほど前、オウム真理教の主流派、アレフが入居し、2010年から反対運動が続けられています。

今も年に2回はデモ行進を行っています。

この地域にアレフがやってきたのは松本サリン事件から15年ほどが経った頃。

地域の警戒感が急に増したといいます。

【足立入谷地域オウム真理教(アレフ)対策住民協議会の会長 横山修平さん】
「自分たちのあそこ(地域に)来るまでは、どちらかというと他人事でしたね。(ほかの地域は)大変だなと見ているだけで、傍観者みたいな感じだったが、いざこっちに来られちゃうとそうはいかないので」

反対運動が始まったころは200人ほどがデモ行進に参加していましたが、最近は、高齢化などから参加者は半分ほどに減っているといいます。
しかし、辞めるわけにはいかないと横山会長は話します。

【足立入谷地域オウム真理教(アレフ)対策住民協議会の会長 横山修平さん】
「過去の事件を起こしたもともとの団体ですので、今後どうなるかわかりませんので、まずは解散していただいて、それで出て行ってほしい」