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【会見】濱口竜介監督 “選ぶ側の感覚が変わってきた” 米アカデミー賞候補について語る

2022年2月9日 22:15
【会見】濱口竜介監督 “選ぶ側の感覚が変わってきた” 米アカデミー賞候補について語る
オンライン会見で心境を語る濱口監督

アメリカ・アカデミー賞に、作品賞・監督賞・脚色賞・国際長編映画賞の4部門にノミネートされた映画『ドライブ・マイ・カー』(PG12)。濱口竜介監督(43)が9日、オンライン会見を行い、ノミネートされた心境や喜びを語りました。


――授賞式について、コロナの影響でどうなるか分かりませんが、実際に現地に行ったとして、楽しみにしていることは?

なかなか想像できないというのが正直なところですね。どういう場なのかが全く分からないので。スティーブン・スピルバーグ監督とかは自分自身が映画を見始めたころから仕事されてる方がいたりとかで。ウィル・スミスさんとかデンゼル・ワシントンさんとか…。そういう方がいる場に自分が行くことになると思うので、その場にいられることを楽しみたいと思います。


――アカデミー賞・作品賞としては日本映画で(ノミネート)が初めて。どう受け止めた?

アカデミー賞を語る立場にないっていうのが正直なところではありますけども。本当に、ただただ夢の舞台という感覚はありますね。ハリウッド映画って“夢の工場”みたいなところがあるし、その中心部で行われるセレモニーなので、本当に子供の頃からとっても華やかな場として見ていて。自分がノミネートが決まって信じられなかった気持ちっていうのも、夢の世界みたいなものと、自分が繋がっているってことがなかなか信じられないというか。いろんな映画祭とかに出たりとかしますけど、集まっている面々がとても濃いというところがあるので、そこと自分たちの日本映画が具体的に繋がっているんだ、それも国際長編賞っていう外国映画のために用意された部門ではなくて、作品賞、監督賞、脚色賞っていう本線的な部門でノミネートされたってことは、自分の作品であるってことは置いておいてすごいことだと、“歴史の中に自分がいるんだ”ってことをなんとなく感じています。ただ実感ってことではなくて、皆さんがニュースでご覧になるような感じで、「へーすごいな」ってことを自分自身も感じているということですね。


――“言語の壁”というものを『ドライブ・マイ・カー』が破ったという実感があるか、そもそも監督はそういう壁を感じていた?

想像してなかったので感じてはなかったっていうのが正直なところですけど、これは字幕を通して見る観客の人たちにとって、どういう体験になるかっていうのは、正直に言えば分からないっていうのが正直なところなんですけど。ただ、字幕を通じて我々も今外国の映画をたくさん見ているわけですけれども、そのことでもちろん捉えきれていない母国語の言語のニュアンスっていうのがあるとは思うんですけど。それで自分たちの感動が格下げされるのは悲しいことだなと思うんですよ。なので、おそらく英語の字幕で見てる人たちにとって、“字幕だから何かが失われてる”とかそういうことではなくて、直接的に何か感じるものがあったのではないかと思っています。それは“役者さんたちの声”だと思っています。言葉の意味、日本語として分からなくてもその声に感情が宿っているってことはすごく直接的に分かるんですよね。そういう声を聞いたときに体が緊張してくるっていうのは万国共通なんじゃないだろうかと思っていて。素晴らしい演技をしてくれた役者さんたちの姿、声っていうのがきちんと通じた結果なんじゃないかというふうに思っています。字幕も良かったんだろうと思います。


――スピルバーグ監督など世界的な監督たちもいる中、そういった作品と『ドライブ・マイ・カー』のような内省的な部分を掘り下げた作品が激突することに関して

それが激突するかどうかもちょっとよく分からないっていうのが正直なところです。あらゆる映画がそれぞれの価値を追求していてたまたまハリウッド的な作り方、アートハウス的なというか日本でいったらインディペンデント映画的な作り方っていうのが存在していて、それを極めていくしかなかったので、自分の映画とその人たちの映画が違ってくるっていうのが当然だし、同じ土俵で戦うっていうこととは思えないというか。それぞれやってきたことがあって、本来それがいいとか、悪いとかは決められないんですけど、ただこうやって“賞を与えてそのことによって映画産業全体の活力を上げていく”って側面は賞には必ずあるんですね。ノミネートされた人は請け負っていくのではないかと思います。戦いではなくてやったことに敬意を払いながら。そのなかに自分が加われたことを光栄に思いつつ、参加出来たら良いなと思っています。


――他の作品と比べると、外国の作品であって予算規模も小さい。その中で評論家により広く評価が高まっていったことをどう思うか。

これは選ぶ側の問題ってこともあるので、“選ぶ側も変わってきている”ってことだと思います。普段見るような映画だけでなく、別の種類の映画に興味を示して、今こういう結果が起きていると。そういう変化の恩恵を受けている感覚はあります。『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞4部門とられたときから、“アジア映画に対して見方が変わってきている”ってことをアメリカの観客たち、一般的な観客たちも含めて思っていると思って。そういう姿勢の変化もあって自分たちもこうやって歴史的に、それまであった映画より優れているかは分からないんですよ。あくまで歴史が変わってきて、歴史で始まるっていう事態が起きてるんじゃないか、“選ぶ側の感覚っていうのが変わってきた”ことが一つの理由としてあるんじゃないかと思います。


――世界中で賞を受けた中で“今回の知らせ”についての感想、『ドライブ・マイ・カー』という作品について、改めて監督ご自身の作品に対する評価は

根本的にどんな賞を受けてもうれしいです。ありがたいことです。それがその中に、表面に出てるかどうかは分からないんですけど、“アカデミー賞だからうれしい”ということではなくて、どんな賞をいただくときもうれしいことだと思っています。そこに、この映画を好きになってくれた人もいたっていう確かな証拠みたいなところがあるので、とてもうれしいことだと思っています。今『ドライブ・マイ・カー』をどう思っているかってことですが、手を離れたといってもまだ撮影終了から一年経っていなくて。自分としてはこんなに早いペースで作品が手を離れたことがどっちかというと認識はなかったので、自分にとってこの映画がどういうものかわからないまま世に出して、それがいろんな反応を受けて、「あーそういうふうな映画なんだ」と理解していってるっていうのが実際なんですけど。さっき言った“喪失と再生”みたいな話っていうのは、やってるときはそこまで意識してないっていうか、「家福」という登場人物がいて、一体どうやったら絶望的な状態から抜けて、それは観客と一緒に抜け出していくって事だと思うんですけど、そういうところまで至れるかっていうのをひたすらやっていたって感じなので、ちょっとずつ、ちょっとずつやっていたってことです。ただ根本にあるのは本当に何度も言いますけど、“役者さんの演技の素晴らしさ”ってものだと思います。村上春樹さんの世界って現実から浮いているようなところがあるので、それを現実的な生々しい物として表現することの負担って限りないものがあったと思うんですけど、ずっとカメラの後ろで演技を見てきて驚いてきて、そのことはすごく世界中で届いているんだなという感覚を持っています。撮影現場で感じていた“演技の素晴らしさ”ってものは間違っていなかったんだと日々実感している感じです。


――(ノミネートによって)作家としての世界が開けてくると思うが

いろんな賞をいただいて、“これで好きなことができる”って言われたりするんですけど、予算が仮に増えたからといって、自分の映画が格別に変わっていくかっていうかというと、それは分からないんですけど。予算をかけなければできないようなこと、例えば時代劇とかもそうですけど、自分が描きたいものに見合った予算で作っていきたいなと思っています。アカデミー賞の後に状況が変わるのかもしれないですけど、変わってみないとわからないというところがあるので、現時点では何も分からないっていうのが正直なところです。


――『ドライブ・マイ・カー』で、何ができたか?達成した点について

何ができたかって言われると、“素晴らしい役者さんの演技をおさめることができた”ことに尽きると思っています。どの役者さんにとってもキャリアにとって、大事なタイミングでこの役と出会っているんだなって感覚が、西島秀俊さん、三浦透子さん、岡田将生さん、霧島れいかさんをはじめとして、海外のキャストさんも含めて、今この役を演じることはこの人たちにとってとても大事なんだなってことを思いながら撮影をすることができたんですよ。そういう役と役者の出会いに恵まれたということもあって、本当にかけがえのない演技というか、二度とそういうことを繰り返すことができないような、同じような素晴らしいことが起きるとしても全く違う形と思うようなそういう演技、1回切りの演技をおさめられたような気がしているので。それはとても自分にとって、もう一回こういうことできるかなっていうレベルだったと思います。


――実際に作品を作る上で“多様性”は意識しているか、それは監督にとって大事なものか

そういうふうに受け止めていただけること、多言語演劇っていうのは多様性のあらわれとして解釈していただけることはとてもありがたいことだと思いつつ、多様性という言葉ではあまり考えていないというのが正直なところです。あくまで多言語演劇は、映画の中ではよりシンプルな演劇、よりよい演劇を引き出すためのある種の道具として導入されているものであって、それがイコール多様性というものではないというか、そういう感覚は持っています。多様性っていうのはどっちかというと実現されるとするものではなく、今この現実が多様であるので、多様性を受け入れるかどうかってことだと思うんですよね、どっちかというと。それをやるには当然ある種の痛みを伴ってくるし、その痛みを引き受ける覚悟が必要になってくるし、そういうふうに変わっていくことができなくてはいけないのではないか、ということが思ってはいますが、ただ映画を作るときに“多様性っていうものを実現しよう”っていうふうなスローガンとしてはやっていない、というのがあります。


このたびはこんな、つたないしゃべりにお付き合いいただきありがとうございます。『ドライブ・マイ・カー』という映画が撮影を終えたときに、いろいろ恵まれたんですね。役者さんとの出会いや、健康一つとっても我々の予算では晴れの日を待つことはできなかった。おかしいぐらい晴れたり、雪が降ったりしていて、この映画ができてどういうところに導かれていくんだろうと思っていたんですけど、アカデミー賞は、自分としてもこんなところに来てしまったという極致ではあります。導いてくれたのは、役者さんの誠実な取り組みとプロデューサーの仕事の力と思っています。多くの方に現時点で受け入れられていることをうれしいと思っています。賞はなりゆきでしかないので、授賞式の場に行って、皆さんとこの仕事が自分たちにとって成果となったと喜びたいと思っています。本日は本当にありがとうございました。