【続報】西郷、新沼、森口が思い出を語る
11日に心不全のため88歳で死去した芸能事務所「第一プロダクション」の元社長、岸部清さんの葬儀・告別式が19日、東京・青山葬儀所で営まれ、歌手の西郷輝彦(72)、新沼謙治(62)、森口博子(50)が参列。報道陣の取材にも応じ、故人との思い出を語った。
「若気の至りでご迷惑をおかけしました。デビュー1年で独立してしまい、大変申しわけなかった」と明かす西郷は、「(自分の)25周年パーティーの際、来てくださった。『お前が立派にやっているなら、それで終わりだよ』と。度量の大きい方だと思いました」と、和解できたことを伝えた。
さらに、デビュー前に自宅に住み込んだこと、当初は「西郷一(さいごう・はじめ)」という芸名になりそうだったことなどを懐かしそうに回想。「事務所全員で映画『ウエスト・サイド物語』を、銀座に見に行きました。『こういう時代が来るんだぞ。お前ら、勉強しとけよ』と言われました」と、新しいことにどん欲な岸部社長の当時の様子を語った。
19歳でデビューした新沼にとって、右も左も分からない芸能界の道しるべが岸部社長という存在だった。海外の音楽祭に一緒に行った際の思い出を「フランスのグッチの店で、『お前、好きなものを買え』と言われたんですが、何を着てもしっくりこない。『ここじゃ、俺のほしいものがないんですよ』と断りました」と明かして笑わせた。
続けて当時の事務所の先輩である千を引き合いに「デビューして10年くらいたったころ、月に10日間休みがほしいと社長に言いました。好きなことをやりたいと。千さんはスケジュールが真っ黒でないと嫌。お金のことしか考えていない。僕は休みのことしか考えていない」とユーモアたっぷりに打ち明け、「千君の爪の垢でも飲めよ、とよく比較されました」と話した。
「17歳からお世話になりました」という森口は、堀越高校卒業間近に、所属事務所からリストラ宣告を受けたという。
「あの子には才能がないから、(故郷の)福岡に帰った方がいいと(間接的に)言われました」と語り、そこから頑張ってレギュラー番組12本を獲得するまでに急成長。「しょっちゅう社長室に行って、現状を報告したり、これをしたいとお願いしたりしていたので、『こんな威勢のいい子は初めてです』と言われました」と、にっこり。
「ただ、社長にラップを歌えと言われたときは、それは私じゃないでしょうと断りました」と、何でも言える関係だったことを明かした。