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開園170周年の花やしき “ペリー来航”の年にオープン…秘蔵写真で振り返る

2023年8月6日 21:40
開園170周年の花やしき “ペリー来航”の年にオープン…秘蔵写真で振り返る
『浅草花やしき』の歴史を振り返る ライオンの赤ちゃん誕生
“日本最古の遊園地”として知られ、8月7日に170周年を迎えた『浅草花やしき』。江戸時代から現代までの170年の歴史を、秘蔵写真や当時の出来事とともに振り返ります。

■“ペリー来航”の年に『花屋敷』誕生

『浅草花やしき』の歴史がスタートしたのは、江戸時代末期の嘉永6年(1853年)。日本の浦賀にペリーが来航し開国を要求した年です。

当時は『花屋敷』という名前で、主に牡丹(ぼたん)や菊細工を展示する“花園”としてオープンしました。安政3年(1856年)には、約80種類の大輪の菊を展示するなど、花園として人気を博したといいます。

■花の展示から動物の展示へ…しかし関東大震災が発生

日本初の鉄道が新橋ー横浜間に開通した明治5年(1872年)には、遊具施設が置かれるようになり、珍しい鳥などの展示が始まりました。明治19年(1886年)からは、動物を中心に展示するようになり、大正12年(1923年)には世界でも珍しいというトラの5つ子が誕生。しかし、その約2か月後の9月1日に関東大震災が発生。浅草は世帯の96%が焼失したといい、動物も被災しました。

■日本初・ライオンの赤ちゃんが誕生 そして戦争へ

その後、昭和6年(1931年)には日本で初めてライオンの赤ちゃんが誕生したといいます。他にもゾウやシロクマ、オットセイなど20種類ほどの動物が展示されていました。しかし、経営悪化に伴い、昭和10年(1935年)には仙台市に動物を売却。さらに世の中の情勢は悪化し、第二次世界大戦の空襲に備え、昭和19年(1944年)に敷地内の木造建築物が全て取り壊され、営業中止となりました。

■戦争を乗り越え…遊園地の形に

1945年に終戦し、その2年後の1947年には、戦争で失われた“子供たちの笑顔”を取り戻したいという思いで営業を再開。汽車など様々な遊具を導入し、遊園地として人気に。1949年には現在の名前『浅草花やしき』に改名しました。

■日本に現存する最古のローラーコースター誕生

テレビ放送が始まった1953年には、日本に現存する最古のローラーコースター『読売ロケットコースター』が設置されました。

■当時日本一の高さ『人工衛星塔』

『ビックリハウス』や『メリーゴーランド』『お化け屋敷』など、徐々に遊具が導入され、にぎわいました。空気で膨らませて腕に巻き付ける人形・ダッコちゃんが空前のブームとなった1960年には、当時日本一の高さだったという約40メートルからの景色が楽しめる『人工衛星塔』がオープンしました。

■『スーパーマリオブラザーズ』が大ブームの年には入場料を有料に

戦後から入場料を無料にしていましたが、1985年に風営法回避のため、有料に。当時は大人100円、小人50円でした。この年にはファミコン用ソフト『スーパーマリオブラザーズ』が発売され大ブームとなり、社会現象になりました。

その後も様々な遊具を導入したり、劇場を設置したりと、時代にあわせて改良を続けてきた『浅草花やしき』。160周年を迎えた2013年には、日本記念日協会により『8月7日花やしきの日』の認定を受けました。

『浅草花やしき』は、8月7日に170周年の記念日を迎えます。