平和への祈り込め歌い続けた「第九」最後のステージ
香川県内の合唱愛好家たちが、ベートーヴェンの「第九」を披露する演奏会が、毎年、高松市内で行われています。実行委員長は、歌うことを愛して止まない92歳。初演から36回にわたり舞台に立ち続けてきた女性の、最後のステージを取材しました。中桐アナウンサーが取材しました。
高らかに歌われるベートーヴェンの交響曲第9番、通称「第九」。「かがわ第九」は県内のアマチュアなど、およそ120人が、オーケストラの演奏とともに声を合わせる毎年恒例の演奏会です。
第1回は1987年。観客も合わせ、およそ5000人による大合唱が行われました。その後、新型コロナによる公演中止もありましたが、香川の合唱愛好家たちが第九のメロディーをつないできました。
今年で36回目。初演からステージに立ち続けた人がいます。中西久米子さん92歳です。
中西さん「(すべて暗譜している?)もちろんです。テノールでもバスでもみんな覚えています。ただ声は出にくいから、大きい声出せないから、小さい声でやっていますけど。(ありがとうございました)飴、持って行ってください。」
演奏会の実行委員長でもある中西さん。その優しい人柄に魅かれて、毎年、多くの参加者が集まります。
参加者は「神様的な。特別なオーラがある方で。人を引き込む力がすごくあると思う。」
「外国人として(合唱団に)入るかどうかを悩んでいたけれど、30分くらい電話で話して勇気が出ました。」
高松市内の養護施設で暮らす中西さん。この日も演奏会の準備に追われていました。
中西さん「困っています。やることいっぱいあるけど、まだなかなか出来ていない。」
中西さんは東京都出身。幼いころから歌が大好きでした。
中西さん「母が歌が好きで兄弟もみんな歌っていたし、みんなが集まると混声合唱、ハモったりする家だったので、歌はいつでも自分の中にあった。」
そんな中西さんから自由に歌うことを奪ったのは、戦争でした。12歳の時には東京大空襲も経験しました。
中西さん「母はよく外国の歌を歌っていた。外出たら軍歌しか歌えなかった。(戦時中に外国の歌は)歌えませんからね。私たちは平和に歌が歌えるというのは本当に幸せなこと。」
結婚後、夫の転勤で香川に移り住み合唱団に入団。「かがわ第九」と出会うことになります。
中西さん「みんなに支えられて、みんなのおかげで生きてきて、幸せな経験を第九のおかげでさせてもらっている。」
長年、たくさんの仲間と歌い続けて来ましたが、ある決断を下そうとしていました。
中西さん「今年で終わりにするつもりでいます。もう他の人がやった方がいいと思っている。」
この日は本番でも指揮を振るプロの指揮者を迎え練習も佳境です。しかし中西さんは「かがわ第九」を離れることをまだ話せずにいました。
中西さん「どこでみんなに言おうかと思って・・・」
終演後・・・
中西さん「どこかで区切りを付けなくては いけないと思っていたので、皆さんにお礼を言う機会を、今がみなさんいてくれるのでお話しますけど、長いこと支えてくれてありがとうございました。」
中西さん「自分もこれで関わってきた一生の最後だなと思いながら歌ったら、のっけから間違えました。」「まだ心が揺れ動く気持ちもあるけれど、ここで踏ん切りつけようと思っています。」
このわずか6日後のことでした。
中西さん「みんなで平和で幸せに暮らさないといけませんもんね。」「第九も仲間も、みんな私の宝物だと思っています。」
平和の願いを込めて歌い続けた「第九」のメロディー。中西さんの祈りはこれからも香川の地で響き続けます。