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平和への祈り込め歌い続けた「第九」最後のステージ

2024年12月18日 18:40
平和への祈り込め歌い続けた「第九」最後のステージ

 香川県内の合唱愛好家たちが、ベートーヴェンの「第九」を披露する演奏会が、毎年、高松市内で行われています。実行委員長は、歌うことを愛して止まない92歳。初演から36回にわたり舞台に立ち続けてきた女性の、最後のステージを取材しました。中桐アナウンサーが取材しました。

かがわ第九

 高らかに歌われるベートーヴェンの交響曲第9番、通称「第九」。「かがわ第九」は県内のアマチュアなど、およそ120人が、オーケストラの演奏とともに声を合わせる毎年恒例の演奏会です。

 第1回は1987年。観客も合わせ、およそ5000人による大合唱が行われました。その後、新型コロナによる公演中止もありましたが、香川の合唱愛好家たちが第九のメロディーをつないできました。

初演からステージに

 今年で36回目。初演からステージに立ち続けた人がいます。中西久米子さん92歳です。

 中西さん「(すべて暗譜している?)もちろんです。テノールでもバスでもみんな覚えています。ただ声は出にくいから、大きい声出せないから、小さい声でやっていますけど。(ありがとうございました)飴、持って行ってください。」

 演奏会の実行委員長でもある中西さん。その優しい人柄に魅かれて、毎年、多くの参加者が集まります。

 参加者は「神様的な。特別なオーラがある方で。人を引き込む力がすごくあると思う。」

「外国人として(合唱団に)入るかどうかを悩んでいたけれど、30分くらい電話で話して勇気が出ました。」

 高松市内の養護施設で暮らす中西さん。この日も演奏会の準備に追われていました。

中西さん「困っています。やることいっぱいあるけど、まだなかなか出来ていない。」

戦争に奪われた「歌」

 中西さんは東京都出身。幼いころから歌が大好きでした。

中西さん「母が歌が好きで兄弟もみんな歌っていたし、みんなが集まると混声合唱、ハモったりする家だったので、歌はいつでも自分の中にあった。」

 そんな中西さんから自由に歌うことを奪ったのは、戦争でした。12歳の時には東京大空襲も経験しました。

中西さん「母はよく外国の歌を歌っていた。外出たら軍歌しか歌えなかった。(戦時中に外国の歌は)歌えませんからね。私たちは平和に歌が歌えるというのは本当に幸せなこと。」

 結婚後、夫の転勤で香川に移り住み合唱団に入団。「かがわ第九」と出会うことになります。

中西さん「みんなに支えられて、みんなのおかげで生きてきて、幸せな経験を第九のおかげでさせてもらっている。」

 長年、たくさんの仲間と歌い続けて来ましたが、ある決断を下そうとしていました。

中西さん「今年で終わりにするつもりでいます。もう他の人がやった方がいいと思っている。」

 この日は本番でも指揮を振るプロの指揮者を迎え練習も佳境です。しかし中西さんは「かがわ第九」を離れることをまだ話せずにいました。

中西さん「どこでみんなに言おうかと思って・・・」

そして最後のステージへ

 終演後・・・

中西さん「どこかで区切りを付けなくては いけないと思っていたので、皆さんにお礼を言う機会を、今がみなさんいてくれるのでお話しますけど、長いこと支えてくれてありがとうございました。」

中西さん「自分もこれで関わってきた一生の最後だなと思いながら歌ったら、のっけから間違えました。」「まだ心が揺れ動く気持ちもあるけれど、ここで踏ん切りつけようと思っています。」




 このわずか6日後のことでした。


中西久米子さん逝去

中西さん「みんなで平和で幸せに暮らさないといけませんもんね。」「第九も仲間も、みんな私の宝物だと思っています。」

 平和の願いを込めて歌い続けた「第九」のメロディー。中西さんの祈りはこれからも香川の地で響き続けます。

最終更新日:2024年12月18日 18:40
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