【特集】フジファブリック志村正彦 バンドは休止発表も…故郷に息づく“変わらぬ記憶” 山梨県

今年でデビュー20周年を迎えたロックバンド「フジファブリック」は、来年2月をもって活動を休止することが発表されました。
20年前、中心となってバンドを結成したのが、志村正彦さんです。ボーカルを務め、ほとんどの楽曲で作詞・作曲も手掛けていましたが、2009年に29歳の若さで急逝しました。
突然の死から15年ー。フジファブリックは大きな節目を迎えようとしていますが、志村さんや志村さんが遺した音楽の記憶は変わることなく、今も故郷にあり続けています。
富士山の麓、山梨県富士吉田市で生まれた志村正彦さん。フジファブリックのフロントマンとして「若者のすべて」や「茜色の夕日」など、今なお多くの人に愛される数々の楽曲を世に送り出しました。
44回目の誕生日に当たる7月10日。志村さんが眠る墓には、今年も大勢のファンが訪れていました。
大阪から来たファン:「志村さんの誕生日が7月10日で私も7月10日、ちょうど私が30歳を迎える年でして。29歳で亡くなった志村さんが踏むことのできなかった30歳を大きな節目として今後の人生、今まで音楽に支えられたお礼や自分の人生をより一層、頑張っていきたい思いを報告したいと思い、足を運ばせていただきました」
墓前には生前、志村さんが愛したコーラとタバコが絶えることはありません。
時代を超え、聞く人の心をつかんで離さない志村さんの音楽。その「核」となっているのが、故郷の情景を感じさせる歌詞です。
『あの街並 思い出したときに 何故だか浮かんだ 英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ また そうこうしているうち 次から次へと浮かんだ 残像が 胸を締めつける』(「陽炎」より)
彼の生み出す楽曲には、富士吉田市への深い愛情が込められているー。志村さんの小中高の同級生だった渡辺直さんは、ステージで歌う志村さんの姿を見て気付きました。