“町工場の星”女性社長の改革力 1/4
キーワードを基にビジネスのヒントを聞く日テレNEWS24・デイリープラネット「飛躍のアルゴリズム」。7日のゲストは、ダイヤ精機・代表取締役社長の諏訪貴子さん。
突然、主婦から社長になった町工場の二代目が、様々な課題をどのように克服して「町工場の星」と呼ばれるようになったのか?会社改革の極意を伺う。1つ目のキーワードは「効率化のため5人をリストラ。当時、社長と呼ぶ社員は誰もいなかった…」。
■社長という象徴としてイスに座ってくれ
――家族的な経営を続けてきた町工場で、諏訪社長はあえてリストラを決断。さらに効率化を進めるため、生産管理システムを導入する。職人気質の従業員の反発はどうだったのでしょうか。
従業員から「社長になってくれ」と言われたんですけど、彼らの社長になってくれという意味は、社長という象徴としてイスに座ってくれ、ということだったんですね。誰も経営してくれとは頼んでいないんです。今までの自分たちのやり方でできると、確かにそうなんですけど。
■改革を断行 従業員からは大反発
しかし、彼らはいつか引退してしまいます。彼らがいる間に自分の経営をやってみてダメだったら、私は経営者の資質はないと思い、すぐに3年の改革を断行しました。そのうちのひとつが“リストラ”というカタチで、いきなりこれをやったのでやはり大反発でした。リストラは27名のうちの5名という規模です。
――反発が出ることを恐れなかったのですか?
このリストラで全員が辞めてしまうかもしれないとも考えました。しかし、そこを怖がっていたら、先に進めません。考え方を変えて、もし、従業員の全員が辞めたとしても、日本全国には1億人以上いるわけです。私の考えに賛同してくれる二十数人は必ずいるだろうと信じて、そこは断行しました。
■シェークスピアの言葉に救われた
――そういう状況というのは社長としては、精神的にきつかったのでは?
始めた当時というのは、必死だったというのもあったのですが、就任して半年ほど、落ち着いたころに、ふと孤独感にさいなまれたときがありました。そのとき救ってもらったのが、シェークスピアの「世には幸も不幸もない。考え方しだいだ」という言葉でした。
そういわれてみれば、まわりから自分で判断をすると不幸かもしれません。しかし、人にはできない経験をさせてもらって、反発しながらも、本気で着いて来ようとしてくれる人たちがいるということはなんて幸せなんだろうと思えたんですね。