ポストコロナの中国 ある家族の苦闘(1) 強まる監視・抑圧 涙の再会から3年 親子3人は再び離ればなれに…
2023年、世界は新型コロナウイルスの感染拡大から立ち直り、人々は断たれてきた絆を取り戻した。多くの家族が団らんを取り戻す中、今も苦闘する家族たちがいる。23年に正式発足した3期目の習近平政権が“治安の強化”を最優先目標に掲げる中、苦渋の決断を下した家族たちの物語を追った。
(NNN中国総局 富田徹)
■“怪獣退治に出かけたパパ”5年ぶりに家族の元へ
11歳の泉泉くんにとって、パパはヒーローだった。物心ついた時、パパはそばに居なかったが、“怪獣退治に出かけた”と信じていた。
「ぼくたち一緒にパパを助けて、怪獣を倒す! そしたら、パパは戻ってくる」
友達と怪獣に見立てたソファを“退治”しながら、パパが帰る日を楽しみにしていた。
パパは元弁護士の王全璋さん。強制立ち退きの被害者など、中国当局から虐げられた人々を支援する「人権派」と呼ばれる弁護士だった。全璋さんは泉泉くんが2歳だった15年7月、当局に拘束された。この時、当局は全国の人権派弁護士ら300人以上の一斉拘束に踏み切っていて、全璋さんもその一人だった。
怪獣と戦っているはずのパパは、いつまでたっても戻ってこなかった。泉泉くんは、夫の解放を求めて抗議活動を始めた母・李文足さんにくっついて、各地を回った。
20年4月、刑期が終わり、パパが自宅に帰ってきた。妻と抱擁する全璋さん。小さな泉泉くんは2人の腕に届かない。一瞬、2人を見上げた後、ピタリと父の腰にすがりついた。約5年ぶりに家族は一つになった。
■家族3人…行く先々で“排除” 引っ越しは十数回に…
しかし、安らぎの時間は長く続かなかった。2023年5月、暮れていく窓の外を眺めながら、泉泉くんは母に尋ねた。
「ママ、今晩もまた警察が来るの?」
前日の深夜に突然、数人の警察が押しかけてきた。母の文足さんが「子どもが寝ているから静かにして」と制止したが、警察は「麻薬を使っていると通報があった」と主張。その夜、3回もやってきたという。泉泉くんは母に抱きついて、震えながら夜を過ごした。
王全璋さん
「当局は4月頃から、私たちを北京から無理やり追い出そうとし始めました」
全璋さんは、北京の警察当局が“やっかいもの”の自分を北京から追い出す作戦だったとみている。中国の役所は縦割りで「自らの管轄」で問題が起きることを極度に嫌うからだ。
住んでいたマンションは電気とガスが止められ、立ち退きを迫られた。一家はその後、北京市内のマンションやホテルを転々とするが、行く先々に当局関係者たちが現れ、執ように転居を迫る。この間、引っ越しは十数回に及んだ。そんな極限状況にあっても、泉泉くんは気丈に振る舞っていた。
「私たち一家は民宿に着いた。水も電気もある。子どもは体を洗うことができて、うれしそうだ」(李文足さんのSNS)
しかし、一歩外に出ると、また大勢の男たちに囲まれた。大きなスーツケースをコロコロと引っ張る泉泉くんの周りを、大柄な男たちが取り囲み、無言でついて行く異様な光景。
それでも3人、家族で一緒に暮らす場所を探して、さまよい続けた。
■「教室」にも男たちが現れ…息子からのつらい問いかけ
しかし、当局が放った禁じ手に、全璋さんの闘志は砕かれた。
王全璋さん
「彼らは息子に手を出しました」
泉泉くんの通学路に、男たちが現れた。学校に通う泉泉くんに十数人がつきまとい、写真や動画を撮影。学校に着いてからも周囲を徘徊(はいかい)し、教室にまで写真を撮りに来たこともあった。
まもなく学校側は、泉泉くんの受け入れを拒否。その後、何度、転校を繰り返しても、すぐ通学を拒否された。ある日、泉泉くんは父に、こう問いかけた。
「パパは、なぜ人権派弁護士なの? ぼくは、なぜ人権派弁護士の家に生まれたの?」
この状況に、全璋さんの心は壊れる寸前だったと話す。
「子どもの通学まで迫害する彼らと一緒に死んでしまいたかった。でも、命がけで闘っても私は処罰され、彼らは別の人間を送り込んでくるだけです。自分はわが子すら守れない無能な人間と思いました」
■家族3人 再び離ればなれに…妻と息子への“圧力”和らげるため
母・文足さんは、泉泉くんを連れて北京を離れ、実家がある湖北省に移った。一方、全璋さんは北京に残ることを決めた。自身が北京に残れば、湖北省に移った妻と息子への圧力は和らぐと考えたからだ。家族3人の団らんは、わずか3年で再び失われた。
王全璋さん
「私たち家族にとって、普通の暮らしは“ぜいたく”なんでしょう」
全璋さんは、3人が再び北京で暮らせるようになるまで、裁判所に訴えるなど、あらゆる手段で闘うつもりだという。
かつて自分が捕らわれていた時、懸命に闘ってくれた妻と息子。今度はパパが“怪獣”を倒して、家族の絆を奪還する――。
■「反スパイ法」先走る中国当局
中国では、以前も人権派の弁護士や学者が当局の監視を受けることはあったが、かつて「天安門事件が起きた日」など、政権にとって“敏感な日”の前後に限り、外出を阻まれるケースが多かった。そして「ゼロコロナ」期間中は新型コロナ対策を口実に、住む街からの移動制限を課すのも常とう手段だった。しかし、ゼロコロナ政策を転換した翌年の2023年、当局は王さん一家を北京から排除しようと圧力を強めた。
同じ頃、北京在住の著名な人権派元弁護士の余文生さんも、妻とともに拘束された。両親が同時に消えた後、余文生さんの長男は自殺を図った。なんとか一命は取り留めたが、2人の裁判もまだ始まっていない。2人がわが子の元に戻れる日は、まだ見えない。
なぜ当局は突如、強硬手段に出るようになったのか? 当時は、ドイツ外相の中国訪問があり、北京のドイツ大使館でもイベントが開かれる予定で、当局は元弁護士らがイベントに招待され、中国の人権抑圧を語ることを警戒したとみられる。
23年7月には「反スパイ法」も改正され、中国の市民が外国とのつながりを持つことへの監視も強化された。当局は、人権派として名前が知られた王さんらが、北京の外交関係者やメディアに接触することを嫌い、圧力を強めたとみられる。
こうした状況下で、家族と二度と会えなくなると覚悟しつつ、海外に脱出する人々もいる…。
<「ポストコロナの中国 ある家族の苦闘 (2)」へつづく>