ポストコロナの中国 ある家族の苦闘(2) 収監中の夫を残し中国脱出 「今生の別れ」覚悟…増える海外亡命
中国で外国との往来を厳しく制限した「ゼロコロナ政策」が消滅した後、外国への亡命を目指す人々が相次いだ。一度、脱出すれば、中国には戻れない。家族と半ば永久に会えない運命を賭してなお、母国を捨てる人が後を絶たない。
(NNN中国総局 富田徹)
<「ポストコロナの中国 ある家族の苦闘 (1)」からつづく>
■息子と2人 決死の覚悟でアメリカへ
アメリカ・ニューヨークの「自由の女神」を背景に、女性が男の子と穏やかな笑みを浮かべている。アメリカへの亡命を目指し、中国を脱出した陳紫娟さん。中国当局の監視をかいくぐり、新天地にたどり着いた翌日、息子と撮った記念写真だった。
紫娟さんが母国を捨てる決意をするまでには、長い葛藤があった。
紫娟さんの夫は2020年、中国当局に拘束された。人権派の弁護士として活動していた、常イ平さんだ。紫娟さんが中国に居た頃、どんな夫だったか聞いたことがある。
「毎日にこにこ笑って、楽観的で純粋な人でした」
紫娟さんが見せてくれたのは、おどけたように大きなキャンディーを息子にプレゼントする写真。夫とは同い年で同郷出身の幼なじみ。ともに法律家を志して大学に進んだ。
「彼が私のことを好きすぎたんです」
照れ笑いを浮かべながら語った陳紫娟さん。夫の猛アプローチに押されて結婚したのは2010年だった。しかし、“夫の仕事”に大きなリスクがあることを、彼が拘束されるまで知らなかった。
「彼自身はもちろん、リスクについてよく知っていました。それなのに、中国当局から迫害された弱い立場の人たちのために声をあげて、弁護を担当していたんです」
イ平さんはたびたび当局に拘束されるようになり、20年10月、これまでの拘束で拷問を受けたとSNS上で訴えた後、再び拘束された。
■裁判所に向かうと…“コロナ対策”理由に阻止
警察は紫娟さんに、夫が「国家や政権の転覆を謀った容疑で捜査を受けている」とだけ通告。くわしい内容は一切、明かさなかった。
紫娟さんは立ち上がった。各地の警察や司法当局を訪ね、夫の無実と即時解放を訴えた。当時8歳だった息子のテイ美睿くんも母に付き添った。テイ美睿くんに、警察は怖くないか聞くと、はっきりした口調で答えた。
「パパは正義の味方で、悪者は警察たちだ」
夫の初めての裁判が開かれようとしていた22年7月、紫娟さんは息子を連れ、車で裁判所が開かれる陝西省へ向かった。当局が認めようとしない裁判の傍聴を要求するためだ。
しかし、裁判所がある街近くの高速道路の料金所まで来ると、おびただしい数の警察が現れた。“新型コロナウイルス対策”を理由に、行く手を阻んできたのだった。彼らは紫娟さんの車の周囲を、車両4台でブロック。結局、たどり着くことはできなかった。
■妻と子の出国 聞いて夫は…
その後、警察は紫娟さんの職場にも現れるようになった。活動を続ければ拘束する、子どもが学校に行けなくなる…などと脅されたという。ある時は警察が夜中の0時過ぎにやってきて、激しく扉を叩いた。息子のテイ美睿くんは怯えて、その日以来、夜1人で眠ることができなくなった。
やがて紫娟さんは母国を離れることを決断。22年10月、住んでいた深セン市から、息子を連れて鉄道で香港に行き、アメリカに脱出した。
夫はその後、裁判所で懲役3年6か月の判決を言い渡された。刑期は24年7月に終わる予定だが、家に戻ってきても妻と息子は居ない。さらに刑期を終えた後も、中国当局は政治犯などの場合、海外渡航を半永久的に禁じる措置を取る。
紫娟さんは自分を責めていた。「私が国を離れたことで、夫とは今生の別れになってしまいました。私が彼を捨ててしまったという気持ちになりました…」
しかし、家族との再会を心の支えにしていたはずの夫の言葉に、彼女は救われた。
「喜んでいたと聞きました」「私と子どもが自由がある場所に行けたから『自分は心配がなくなった』と弁護士に話したそうです。私たちが、他の政治犯の家族同様、弾圧を受けることを心配していたのです」
■「一番の心配は拷問のトラウマ」
紫娟さんは夫の身体も案じていた。常イ平さんは以前の拘束で10日間にわたって睡眠を取らせないなどの拷問を受けたと、SNSで訴えていた。
「一番心配しているのは、拷問によるトラウマです。刑期を終えた後、1人で暮らしていかないといけないのに…」
それでも守りたかったのは、息子の未来だった。記者が紫娟さんにオンラインで話を聞いていた時、テイ美睿くんはベッドでアメリカの地図を描いていた。地理の授業にはまっているという。
テイ美睿くん「アメリカの地理は面白いよ。西部には岩がたくさんあって、東部は湿った気候。大きな都市が多いから遊び場も多い」
友だちもたくさんできた。そして将来の夢も。
テイ美睿くん「パパのような弁護士になりたい」
陳紫娟さん「私は医者になって欲しいんだけど…」
テイ美睿くん「人助けがしたい」
夫はきっと、この子という希望を糧に生きてくれる。紫娟さんは息子の成長を夫に伝える日を、楽しみにしている。
■相次ぐ亡命希望 10年前の7倍に
政権に批判的とみなされた人々への抑圧が増す中国では、外国に逃れ亡命を求める人々が相次いでいる。国連によると、22年に中国から亡命を希望した人は、11万人以上。10年前の7倍以上にのぼった。
ひとり娘を新型コロナ感染で亡くした楊敏さんも23年、ヨーロッパに脱出した。娘は20年、中国・武漢で始まっていた新型コロナの感染拡大を知らずに、病院で感染し亡くなった。
楊敏さんは「中国当局が新型コロナの状況を隠ぺいしたため、娘は犠牲になった」と抗議を続け、当局から厳しい監視を受けていた。そして23年6月、拘束の危険が迫っていると感じ、南部の雲南省から陸路でミャンマーに脱出し、ヨーロッパへ渡った。毎年、娘の命日にはお墓の前に行って語りかけてきたが、今は会いに行くことはできない。
「娘には申し訳ないと思います」
「これからも真相究明を求めていくのが、私の生きる支えです」
不条理に引き裂かれた家族たちは2024年、それぞれの場所で前に向けて歩み出そうとしている。