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【NNNドキュメント】戦死したダンサーも…ウクライナ国立バレエ 日本人芸術監督とプリンシパルの挑戦 NNNセレクション

2025年4月5日 3:51
【NNNドキュメント】戦死したダンサーも…ウクライナ国立バレエ 日本人芸術監督とプリンシパルの挑戦 NNNセレクション
ウクライナ国立バレエのオリガさん。戦争で国外に避難したあと、足の手術を経て一時は踊ることを諦めた。しかし、日本人監督・寺田さんの励ましなどに支えられ復帰。空襲警報が鳴り響き、公演が中断しても、劇場は満席だ。“芸術の灯を絶やさない”。踊り続ける原動力とは。

オリガさん
「どの母親も、戦争に行かせるために子どもを産むわけではありません」

多くの民間人が犠牲になっても、いまだに停戦は実現していないウクライナ。

首都・キーウで公演を続けている『ウクライナ国立バレエ』。芸術監督を務めているのは、寺田宜弘さん(48)です。

寺田さん
「舞台の上で芸術の力を借りて、この戦争と戦っていくっていうのが、私たちの任務だと思うんです」

爆撃の恐怖におびえながら、それでも舞台に立ち続けるのはなぜか。戦火のもと踊り続ける彼女たちを追った。

取材中、突然、鋭い音が鳴り響きました。

「注意! 空襲警報発令」

寺田さん
「みんなこうして、普通に歩いているので」

11歳でキエフ国立バレエ学校(当時)に留学した寺田さん。37年間をウクライナで過ごしています。

寺田さん
「私が2022年9月に戻ってきたときに、多くの団員がびっくりしたんですね。『何で戻ってきたの?』と。『この戦争のなか、多くのウクライナ人はウクライナを離れ、海外に住んでいる。でも、君は日本人なのに戻ってきてくれた』と。私にとって団員たちは、“家族”、そして劇場が、私の“家”なんですね」

戦争のさなかの2022年、ウクライナ国立バレエの芸術監督に就任しました。今回、世界的な振付家が戦時中のウクライナのために提供した、『スプリング・アンド・フォール』を上演することにしました。

寺田さん
「この『スプリング・アンド・フォール』、私たちはこのバレエを『春と秋』って言ってるんですね。私たちにとって、1日でも早く、この戦争が終わってウクライナに春が来る」

主演に選んだのはオリガ・ゴリッツァさん(37)。

寺田さん
「彼女の踊りっていうのは、透明感があるんです。そして美しくて、純粋で」

世界中にファンをもつ、バレエ団随一の『プリンシパル』。 15歳の息子・マキシムくんを1人で育てながら、第一線で活躍しています。

オリガさん
「服を着替えてね。パスタを作ったから」

マキシムくんは3年後、兵役が義務づけられている18歳になります。

オリガさん
「多くの母親が子どもを亡くしていて。恐ろしいことです」

バレエ団のダンサーたちにも、召集令状が届いています。オレクサンドル・シャポヴァルさん(当時47)。東部・ドネツク州で砲撃を受け、亡くなりました。

寺田さん
「彼、ラーメン好きでした。本当に素晴らしいダンサーでした」

思いをこめた舞台、『スプリング・アンド・フォール』。その、公演前日のことでした。

オリガさん
「うまく転びました」

寺田さん
「強く打った?」

オリガさん
「大丈夫です」

寺田さん
「お医者さんを呼んで」

オリガさん
「大丈夫、必要ありません」

この冬、劇場は徹底的な節電を強いられていて、床は冷たく、滑りやすくなっているのです。

オリガさん
「明日どうなるか、少し心配です。膝を強く打ったので、腫れが出るかもしれません」

不安の中迎えた公演当日。戦場で戦っている誰かのためにも、ウクライナの芸術の灯を消してはいけない。

オリガさん
「戦争は多くのことを教えてくれました。いまを大切にすること。これまでとは違う気持ちで踊っています。いままで、未来に先延ばしにしていたこともあった。もう二度と、明日はやって来ないかもしれません。いまこの瞬間、心をこめて踊っています」

寺田さん
「1人1人のこの3年間の、この戦争の思いを想像して、1人1人のこの悲しさ、そして喜び、苦しさっていうのを、表現できる作品だと私は思っています」

侵略への恐怖、怒り、悲しみ。それでもきっと、いつか。

2025年2月23日放送 NNNドキュメント’25『戦火に舞う あるプリンシパルと日本人芸術監督の挑戦』をダイジェスト版にしました。
最終更新日:2025年4月5日 3:51
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