緊迫続くガザ地区 「子どもたちをよろしく」日本の友人へ託した悲痛な思い かつての“日常”ほど遠く…
パレスチナ自治区のガザ地区で拘束されていた女性2人が新たに解放されるなど、水面下での交渉が続いています。依然、緊迫した状態が続く中、遠く離れた日本人女性のもとには、現地の友人から悲痛な思いが届いていました。
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パレスチナ自治区・ガザ地区からイスラエルに向けて放たれるロケット弾。そして、イスラエルから放たれる“報復の空爆”。戦闘は日に日に激しくなり、パレスチナ保健省によると、ガザ地区の死者は5000人以上に上っています。
イスラエル軍は23日、ガザ地区に地上部隊を侵入させ、限定的な攻撃を実施したと明らかにしました。人質の捜索も行ったといいます。
刻一刻と迫る地上侵攻の時。過去にも地上戦に踏み切った時があります。2014年、イスラエル軍がガザ地区に最後に地上侵攻した「ガザ侵攻」です。この時の地上侵攻は約50日に及び、ガザ地区の民間人など2000人以上の命が奪われました。
その約1年後、日本テレビは現地へ向かいました。
記者(2015年)
「落ち着きを取り戻しているようですね」
しかし――
記者(2015年)
「がれきの中には不発弾が残っている可能性があるということで、近づくことはできません。こうした危険と隣り合わせでガザの子どもたちは暮らしています」
死と隣り合わせの日常でした。
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かつてのガザ地区の日常を知る日本人に話を聞くことができました。ガザを仕事やボランティアで何度も訪れたことがある山村順子さんです。山村さんが初めてガザ地区を訪れた2016年には、平和な光景が見られたそうです。
開発コンサルタント 北海道パレスチナ医療奉仕団メンバー 山村順子さん
「子どもたちは元気だし、大人たちもすごくホスピタリティーにあふれていて、『何か困ってないか』とか『家に泊まっていけよ』みたいな、日常から助け合う姿勢が見られていた」
決して豊かとは言えない環境に広がっていた日常。
――子どもたちの楽しみは?
山村順子さん
「外で見ているとサッカーをしていたり、なんでも娯楽だと思える。なんでも使っておもちゃにしていたり」
過酷な環境でも、「子どもの笑顔」があったのがガザ地区でした。ただ、今回の争いによってその笑顔は失われました。
ガザ地区は教育を大事にしているといいます。しかし今、学校は避難所になっています。学校は勉強をし、友達と楽しむ場所です。山村さんの元には、ガザに住む友人から連絡が届くといいます。
山村順子さん
「『世の中に絶望している』というメッセージをすごくもらう。本当に悲痛なメッセージが多いですけど、安全な場所はどこにもない。『安全でいてね』とどうしても言ってしまう時があるけど、『安全な場所はどこにもないよ』と言葉が返ってきたりとか、『私が死んでもよろしくね』『子どもたちをよろしく』と、見ていてすごく苦しかったなと」
日々、絶えることのない悲痛な思い。
山村順子さん
「最後のメッセージがいつになるかわからない中で連絡を取っている日常」
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日常が失われたガザ地区。ただ、ここにはイスラム組織「ハマス」が人質にとったイスラエルなどの人々もいます。
23日、その人質のうち2人を解放したとハマスが発表し、映像を公開しました。2人はイスラエル人で、エジプトメディアは、ガザ地区とエジプトの境界にあるラファ検問所から救急車で運ばれたと報じています。
ただ、イスラエル軍によると、ガザ地区にはまだ220人の人質が残されているといいます。
イスラエルの地元メディアによると、イスラエルでは1400人以上の死者が出ているといいます。避難を余儀なくされている人も少なくありません。イスラエル国内最大の避難の拠点では、戦闘が激化する中、屋外にもテントが作られ、避難者の受け入れ準備が進められています。
私たちは、ガザ地区の近くの街から避難してきたというきょうだいに話を聞くことができました。
ガザ地区近郊から避難 イスラエル人(17)
「毎日シェルターに逃げたり、そんな場所で暮らし続けるのは不可能だと思いました。故郷に帰りたいとは思いますが、ここでの暮らしの方が安心できるんです。今は状況が良くなるのを待っています」