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中国の地図上にある「ロシア地名」に昔の中国名も併記…中露の間に“歴史の怨念”

2023年4月5日 7:30
中国の地図上にある「ロシア地名」に昔の中国名も併記…中露の間に“歴史の怨念”
中露の間に横たわる“歴史の怨念”

中国の習近平国家主席が先月、ロシアを訪問し、プーチン大統領との首脳会談が行われるなど、「中露関係がかつてないほど良好」といわれる中、中国の地図を発行する政府機関は、かつて中国領で現在はロシア語の発音になっている地名に対し、昔の中国名も地図上に記載することを義務付けました。具体的には、ウラジオストクは「海参イ(※山かんむりに威)」、サハリンは「庫頁島」などという中国名が、ロシア名とともにカッコ付きで併記されるようになっています。

中国版ツイッターのウェイボーでは「領土を割譲させられた屈辱的な歴史を忘れてはならない」「ロシアの領土拡大の野心は、今も昔も変わらない」などの投稿が相次ぎ、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、中国国内にくすぶる“歴史の怨念”が再燃しています。

■地図の「ウラジオストク」に“中国名の付記”義務付けられる

中国の地図を発行する政府機関・自然資源省は、2月14日に「公開地図内容表示規範」を公布し、その第14条の規定に、ロシア極東地域の8か所の地名に対し、現在はロシア語で発音されている地名に加えて、中国領だった清王朝時代の中国名も地図上に併記することを義務付けました。

「ウラジオストク」―「海参イ(※山かんむりに威)」
「ウスリースク」―「双城子」
「ハバロフスク」―「伯力」
「ブラゴベシチェンスク」―「海蘭泡」
「サハリン」―「庫頁島」
「ネルチンスク」―「尼布楚」
「ニコラエフスク」―「廟街」
「スタノヴォイ山脈」―「外興安嶺」

この8か所は、いずれも清王朝の領土の一部だったものの、「アロー戦争」(1856年)で清がイギリス・フランス連合軍に敗れて、その後、北京条約(1860年)などの不平等条約が突きつけられ、調停役を担った帝政ロシアに割譲された領土です。

■「ウラジオストク」の意味…“海辺の小さな村”から“東方を支配する町”へ

「ウラジオストク」とは、ロシア語で“東方を支配する町”や“東方の支配者、覇者”と解釈されています。清王朝の領土だった時代の地名は、中国語で「海参イ(※山かんむりに威)」といい、“海辺の小さな村”という意味でした。

北京条約(1860年)によって、帝政ロシアは、この“海辺の小さな村”をロシア語で“東方を支配する町”という意味の「ウラジオストク」と名付け、軍港を建設し、後のロシア海軍の太平洋艦隊の拠点と変わりました。

160年以上の時を経て、“海辺の小さな村”だった「ウラジオストク」は、太平洋に面したロシア最大の港になり、ロシア極東の経済、科学、文化の中心地へと発展しました。プーチン大統領肝いりの投資イベント「東方経済フォーラム」が2015年から毎年、ウラジオストクで開催され、ウクライナ侵攻後の去年9月にもプーチン大統領が会場入りし、「世界の多極化」を訴えました。

また先月28日に、ロシアの太平洋艦隊の艦艇はウラジオストク沖で、対艦巡航ミサイル「モスキート」2発を発射する演習を行いました。中国ではニュースなどでウラジオストクが地図上の位置を示される度に、カッコ付きの中国名も同時に登場しています。

■中露の間に横たわる“歴史の怨念”

ロシアによるウクライナ侵攻が1年以上続く中、先月には中国の習近平国家主席とプーチン大統領の中露首脳会談が行われ、「中露関係がかつてないほど良好」とも言われています。しかし、地図上ではロシアの地名に、わざわざ昔の中国名を併記させるような、友好一辺倒ではない、中露両国間に横たわる“歴史の怨念”が浮き彫りとなりました。

今回の地図規定の変更を受け、中国版ツイッターのウェイボーで「領土を割譲させられた屈辱的な歴史を忘れてはならない」「ロシアの領土拡大の野心は今も昔も変わらない」などの投稿が相次ぎ、ネットで話題となっています。一部のSNSでは「ロシアがウクライナ侵攻で弱体化すれば、かつてロシアに収奪された中華の地を奪還しよう…」と、かなり過激な発言も飛び交っています。

一方、中国名の併記を義務づけられた8か所の地名の1つ「サハリン(庫頁島)」について、日本の中学校社会科地図帳(文科省検定済)では「樺太(サハリン)」と表記されています。中露の“歴史の怨念”は、日本にとっても文字通り“対岸の火事”ではなく、複雑に絡み合う関係にもあることがうかがえます。