【西鉄電車100年】実家の敷地に「200形」車両 床は木製・つり革に当時の広告 当時の鉄道少年は次の100年に思いをはせる 福岡
西鉄天神大牟田線が、12日で開業100年を迎えました。人々を運ぶだけではなく、福岡の街づくりにも貢献してきた1世紀です。温かいまなざしでその歴史を見つめ続けてきた、鉄道ファンを訪ねました。
西鉄福岡天神駅に入ってきたラッピング電車。4月12日、西鉄天神大牟田線が開業100年を迎え、特別デザインの車体が披露されました。
■西日本鉄道・松藤悟 鉄道事業本部長
「長い間、沿線の皆様に支えられてここまでやってこられたと思っています。これからも一生懸命、安全に頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。」
いまから100年前、1924年の4月12日、西日本鉄道の前身「九州鉄道」が福岡市天神から久留米市まで開業しました。
そして、15年後の1939年には、大牟田市まで延伸し、通勤・通学の足として福岡都市圏と福岡県南部を結ぶ大動脈として発展しました。
沿線では都市開発が進み、発着点となる天神は、商業施設が建ち並ぶ九州一の商都になるなど、福岡の街づくりにも大きな影響を与えてきました。
まだ、天神から柳川市までしか路線がなかった1937年頃に走っていた電車のひとつが「200形」です。当時の電車の特徴である、床が木でできた車内。軽量で最高時速は90キロ出せたということです。
■永易友希記者
「実は、その車内にいまも乗ることができるんです。手嶋さん。」
■手嶋康人さん(44)
「はい。」
鉄道ファン歴44年という手嶋康人さん(44)は、全国の古い鉄道の修理を手がける会社の社長です。
この200形の車両を、筑紫野市にある実家の敷地に保管しています。全長およそ5メートル、幅およそ3メートルあります。
手嶋さんが子どものころ、鉄道好きの父親が現役を引退した電車を買い取ったものです。いまも手入れをしながら大切に保管しています。
手嶋さんによると、この車両は太平洋戦争が始まった1941年に製造されたものだということです。
■手嶋さん
「この時代の電車は冷房など付いていないので、走る時に窓を全開にして夏場は風を受けながら走る乗り物でした。」
つり革も当時のままです。
■手嶋さん
「岩田屋と書いていまして、当時、平成初頭くらいまでは岩田屋の看板が必ず西鉄電車のつり革には付くのが特徴でした。」
小学生のころ自宅にやってきたこの電車は、自慢の秘密基地でした。
■手嶋さん
「電車ごっこをして遊んでいました。放送装置とかあるので『次は二日市です』って遊んでいました。」
小さいころから鉄道が大好きだった手嶋さんは、1989年、この200形が引退する時も父と弟の3人で見に行きました。
■手嶋さん
「これで見納めだなと非常に悲しかった覚えがあります。モーターのうなる音がすごくて、乗っていて会話ができないくらいうるさい。いまはにおいがそんなにないですが、もっと油のにおいがして独特な乗り物だった。」
路線全体の年間の利用者数は、1992年度にはのべ1億2700万人を超えました。しかし、2022年度には8000万人台まで減少します。そんななか、観光列車の運行を始めるなど、挑戦も続けています。
幼いころから西鉄天神大牟田線を見守り続けてきた手嶋さんが思いをはせるのは、100年の歴史、そして、これからの姿です。
■手嶋さん
「いまなぜ西鉄電車が走っていて、沿線がこれだけ都市化していて、私たちが天神まで気軽に乗れる乗り物が走っているか。途中から冷房が付いたり安全装置ができたり。本数が増えてたくさん走れるようになった。100年分の積み重ねで現代につながっている。次の100年も福岡のために頑張ってもらい、200周年を迎えてもらいたい。」
1世紀に渡り、私たちの生活を、新しい出会いを、そして、人生のスタートを支え続けてきた西鉄天神大牟田線。これから先も、人々の暮らしと想いを運び続けます。
100周年を記念して、西鉄ではお得なキャンペーンが13日から始まります。
子どもの電車運賃の全額がニモカポイントに還元されます。つまり、子ども料金は実質、無料ということになります。
対象は子ども用のニモカを使って西鉄電車を利用した小学生以下の子どもです。4月13日から5月19日までの土・日・祝日の期間限定です。
さらに、新たな取り組みとして、夜に帰宅する人向けに全席有料の臨時列車を期間限定で運行します。運賃にプラス整理券代300円を支払えば必ず着席できます。
運行は、4月19日(金)・5月7日(火)・17日(金)・21日(火)のそれぞれ午後9時から10時台に3便です。乗車は福岡(天神)駅からのみで先着順です。行き先は大牟田行きと花畑行きがあり、二日市まではノンストップ、そこから先は急行停車駅に止まります。