広島のお好み焼きの礎築く「みっちゃん」 創業者・井畝満夫さんお別れの会
「広島のお好み焼き」の礎を築いたレジェンドが2024年7月、この世を去りました。9月4日に開かれたお別れの会ではいたるところに亡き人とお好み焼きへの思いが込められていました。会場ののれんをくぐると現れたのは2本のへらとお好み焼きを花で表現した巨大な祭壇。その隣の部屋では。3台の鉄板の上で次々とお好み焼きが焼かれていきます。会の主役は「お好み焼みっちゃん総本店」の創業者・井畝満夫さんです。2024年7月、91歳で亡くなりました。「みっちゃん総本店」の創業は今から74年前の昭和25年。原爆で廃墟となった街の復興をお好み焼きで支えました。キャベツともやしにそばを入れてとろみのあるソースをかける「お好み焼き」の原型を作ったのが井畝さんです。
■1987年11月25日放送「ほっとひろしま」
「お好み焼きみっちゃんの井畝満夫さんです。満夫のみつを取ってみっちゃんというそうですね」
井畝さんの活動は店の枠にとどまりませんでした。テレビ番組では家庭用のホットプレートを使って視聴者に焼き方を指南。お好み焼きに興味を持ったという外国人が訪ねてくれば惜しみなく技を伝授しました。後進の育成にも熱心でした。2021年には飲食業界では珍しい「襲名」で二代目井畝満夫が誕生しました。お別れの会では、襲名した二代目井畝満夫さんこと上川学さんのもと、初代の愛弟子たちが鉄板を取り仕切りました。
■参列者
「お好み焼きの香りがするお別れ会。広島らしい井畝さんらしいお別れ会だと思いました」
■二代目井畝満夫・上川学社長
「広島のお好み焼きは発展し全世界にまだまだ知らしめるチャンスがあると思いますのでどんどんお好み焼きを焼いておいしいといわれるように頑張っていきます」
広島駅の西側に広がる風情ある飲食店街エキニシ。ここに2024年4月、鉄板焼き店がオープンしました。店長の飯田茉耶さん25歳。鉄板料理店や洋食店で腕を磨いた後、独立を視野に入れてみっちゃん総本店地蔵通り店でおよそ2年間修行しました。
■飯田茉耶さん
「お好み焼きって生地引いてキャベツのせて麺やって作ればいいんでしょという簡単なというか甘い考え方だったんですよ最初は。全然そんなことなくて、みっちゃんに入ってからお好み焼きってこんなに深いんだなと思って」
飯田さんは初代みっちゃんから直接は指導を受けていません。それでも、初代から学んだ店長を通じて「みっちゃんの教え」を体に刻み込みました。
■飯田茉耶さん
「1枚だろうが10枚だろうが入ってきたお好み焼きを丁寧に焼くのは変わりなく、なおかつ早く仕上げるというのを心がけて焼きなさいって言われて。(店長は)マスターから学んだって言われてそこからお好み焼きへの探求心というかもっといいものに仕上げていこうという自分の気持ちがそこで変わったのがありました」
お別れの会に飯田さんの姿もありました。会場でお好み焼きを焼く恩師、秀島さんとも再会しました。
■みっちゃん総本店じぞう通り店 秀島聡 店長
「うちで最高点のお好み焼きが出せるのは今日しかない。店長軍団しか焼いてないから。最初で最後。もうない。二度とない」
店長としてはまだ駆け出しの飯田さん。レジェンドたちの手による貴重なお好み焼きを味わいます。
■飯田茉耶さん
「変わらないですねずっと。自分的にも成長していけたらいいなというのが目標でみっちゃんで教えられたことはずっと守り続けていきたいなと思います」
「味は努力」が口癖で人生をお好み焼きにささげた井畝さん。その思いはお好み焼きを通して次の世代へと受け継がれていきます。
【2024年9月4日 放送】