伝統を絶やすわけにはいかない...三好市山城町の粟山地区に伝わる「鉦踊り」2年ぶりに奉納【徳島】
2018年の豪雨災害で人口が減り、年々開催が難しくなる中、伝統を絶やすまいとの想いで参加した人々をカメラが追いました。
江戸時代から粟山地区に伝わる「鉦踊り」
霧に包まれた先のように、未来のことは誰にもわかりません。
徳島県三好市山城町の粟山地区に江戸時代から伝わる「鉦踊り」、毎年8月に行われていますが、2024年は踊り手が確保できず延期され、10月、2年ぶりに奉納されました。
現在、集落に暮らすのは、4世帯7人。
鉦を鳴らし続ける集落の人々には、並々ならぬ思いがありました。
2018年7月の「西日本豪雨」の影響
2018年7月に起きた「西日本豪雨」により、粟山地区も大きな被害に見舞われました。
県道の崩落により車が通れなくなった粟山地区は孤立し、15世帯27人が避難を余儀なくされました。
集落を離れ避難所暮らしをする人が増えると、祭りどころではなくなりました。
しかし、集落の自治会長・喜多二三男さんには祭りを途絶えさせてはいけないという強い信念がありました。
2024年
2024年7月、祭り本番に向けて喜多さんや集落の人などが集会所に集まり、踊りで使う花笠を作りました。
徳島市の舞踊家・檜千尋さんは、被災した集落に寄り添うように5年前から祭りを手伝っています。
檜さんの父・瑛司さんは舞踊家として活動する傍ら、長年、徳島県内の民俗芸能を調査していました。
花笠の飾りは色紙を折って手作りされるため、時間も手間もかかる大変な作業です。
檜さんは、地域の人が今も昔と変わらない作り方を続けていることに驚いていました。
2023年は、鳴り物のメンバーが参加できず「鉦踊り」は中止されました。
2024年こそはと準備していましたが、踊り手の都合により開催は8月から10月に延期されました。
かつては山城町内の4か所で行われていた「鉦踊り」、今は粟山を含め2か所だけになりました。
危機感を感じた三好市教育委員会は、練習や本番の様子を動画にして残すことにしました。
撮影には、檜さんや地域おこし協力隊のメンバーも加わり行われました。
そして2024年の「鉦踊り」当日
祭り当日は、秋晴れに恵まれました。
「鉦踊り」は神社に祀られる、大西備中守元武の怨霊を鎮めるためのものだと言われます。
この日、女形を任されたのは地域おこし協力隊の男性。
神事がはじまる直前には、神輿を担ぐのに必要な8人に2人足りないことが判明、急遽、祭りを見に来ていた人に参加してもらうことになりました。
鉦の打ち手は手作りの花笠を被り、出番を待ちます。
喜多さんは頑張りすぎたのか、前日に体調を崩してしまいました。
それでも居ても立っても居られず、祭りの様子を見にきました。
本職の舞踊家・檜さんは女形での参加です。
神事の後、2年ぶりに繰り出された神輿、踊り手がうしろに続きます。
境内に戻ると、踊り手が輪になって踊ります。
鉞や長刀を振る人のほか、鉦や太鼓を鳴らす人など、様々な役割があります。
集落の絆を示す踊りの輪。
様々な人の協力を得て、2年ぶりに無事奉納することができました。
山あいの集落に響く鉦の音は、祭りを思う人たちみんなの絆の証なのかもしれません。
なお、三好市教育委員会では粟山以外の地域も映像記録を残したい意向ですが、一旦途絶えてしまった地域は踊りをできる人が少なく、再現してもらうことが難しいと話していました。
ふるさとの宝、残していきたいですね。
(詳しくは動画で)