本土復帰50年 沖縄戦不発弾処理 完了にはあと70年 陸自・不発弾処理隊
本土復帰から50年を迎える沖縄県には、今なお多くの不発弾が残されている。その量、推定約1950トン。繁華街や住宅近くの地中など、人々の生活のすぐそばに危険が残されている。不発弾処理を専門に担う陸上自衛隊・不発弾処理隊を取材した。(防衛省クラブ・増田理紗)
■今なお残る沖縄戦不発弾 約1950トン
太平洋戦争末期、激戦地となった沖縄県は、米軍による激しい艦砲射撃や空襲を受けた。沖縄で使用された弾薬は推定約20万トン。このうち約5%にあたる1万トンが、何らかの原因で爆発せず不発弾として地中などに残ったとされている。
戦後、不発弾処理が進められてきたものの、住民が暮らす足下には依然約1950トンもの不発弾が残されているという。
■陸上自衛隊・不発弾処理隊
沖縄県の陸上自衛隊・那覇駐屯地には、不発弾の処理を専門とする部隊がある。
第101不発弾処理隊。全国に4つある不発弾処理隊の中で最も規模が大きく、総勢23人の隊員が365日、昼夜を問わず不発弾処理にあたっている。
1974年に那覇市で起きた、幼稚園児など38人が死傷した不発弾爆発事故を受け、不発弾処理を専門とする部隊が編成された。以降、沖縄県においてこれまで約1800トンの不発弾を処理してきた。現在でも多い日では1日に9件もの出動要請がかかるといい、昨年度の出動件数は約420件にのぼった。
副隊長の大城一等陸尉は「任官して20数年、沢山の不発弾を処理してきたが、処理が終わるまであと70年。もしかすると70年でも無理ではないかと言われている」と話す。
■命がけの不発弾処理「不安はない」
不発弾は工事現場で掘削中に地中から見つかる例が多く、過去には普段観光客などで賑わう国際通りで見つかったこともある。人々が生活する場所に、今なお埋まっているのだ。
通常、不発弾処理は隊員3人で行うという。不発弾の状態や爆発の危険性を確認し、動かすことが困難と判断した場合には、住民を避難させた上で現場で作業にあたる。
不発弾の弾頭と底の部分に取り付けられた「信管」を手作業で抜き取り、爆発の危険性を取り除いてから撤去する。こうした作業も困難な場合には、その場で爆破処理を行う。
これだけの危険を伴う作業だが、防護服などの特殊な装備はなく、隊員らは戦闘服にヘルメットといういたって軽装で処理にあたる。不発弾の爆発威力が大きいため、どんな服装でも被害を防ぐことができないからだという。
19歳から最前線で処理にあたってきた都築三等陸曹(24)は「不安はない。それだけ訓練をやってきた」と力強く語った。これまで自衛隊の処理で、事故は一度も起きていない。
■「いつかは終わる」
全ての不発弾がなくなるまで、70年以上。都築三曹はこう語る。
「いつかは終わる時が必ず来る。その日のために、今自分が持てる技術をしっかりと後輩、そして次の世代に引き継ぐことが大切だと思う」