“40分間”の原爆資料館 「禎子の折り鶴」などG7首脳ら歩いて館内視察
G7首脳らによる原爆資料館訪問は、岸田首相がこのサミットで「最も力をいれるイベント」(周辺) と言われていた。しかし資料館の視察は取材不可で、中の様子は非公開とされた。
その理由について、ある外務省幹部は「アメリカやヨーロッパの国の中にはトップが被爆者の写真などを見る様子を撮影されることに抵抗感が強かったため」と話した。岸田首相も周辺に「トップが何を見たかというのは外交上の機密だ」と話していて、視察の内容については関係者の中で箝口令がしかれていた。
首脳らが原爆資料館に滞在したのは約40分間。岸田首相は訪問終了後、周辺に対し「厳格で厳粛な雰囲気で良い形での資料館の訪問となった」「各国首脳がじっくりゆっくり展示物を見てくれた」と話したという。
閉ざされた“40分間”に何があったのか?我々の取材で徐々に明らかになってきた。
原爆資料館に所蔵されている資料は2万点にのぼる。そのうち、首脳らは何を見たのか。取材でひとつ明らかになったのは「禎子の折り鶴」だ。
佐々木禎子さんは2歳の時に放射性物質を含んだ「黒い雨」によって被爆し、被爆から10年後の12歳の時に白血病で亡くなった。「原爆の子の像」建設の契機となった少女だ。
白血病を発症したのち、回復を祈って、入院から亡くなるまでに約1500羽の鶴を折ったという。薬の包装紙を使って折られたその鶴が「禎子の折り鶴」として展示されている。
こうした展示物の案内について、岸田首相は周辺に「自分の言葉で展示を案内、説明したい思いもあるが、首脳たち8人(うちEU2人)に1人で説明するのはなかなか難しい」と語るなど、最後の最後まで調整を続けていた。しかし政府関係者によると、19日には岸田首相自らがG7首脳を案内したことがわかった。
また、被爆者の小倉桂子さんが首脳らに話をしたこともわかった。小倉さんは8歳の時に被爆。世界に向けて英語で被爆証言を続けてきた人物だ。NNNの取材に対し、首脳らの反応などについては「話してはいけないことになっている」とした上で、自らが語ったことについて明かしてくれた。
◯被爆者・小倉桂子さん
「自分の被爆体験。それからもう一つ、佐々木禎子ちゃんの話をした」「核というものは何か、放射能というものは何か。核の、未来まで続く恐怖とか、それに焦点を当てて、私は自分がどういうふうにして被爆したかと、その現状をお話しした」「初めは4、5分と思ったんですけど、感じとしても倍以上お話ししたと思いますね」
■資料館のどこを見たのか?
原爆資料館には本館と東館がある。被爆者の写真や衣服などが並び、被爆の実相を詳しく伝えているのは本館だ。
2016年、オバマ大統領が原爆資料館を訪問した際には、アメリカ側の意向もあり、主要な展示物を東館の入り口に集めて、約10分間のみ見学する手法をとった。このとき岸田首相は外務大臣としてホスト役の一員をつとめた。
一方、被爆者からは、今回は東館から本館までいき、じっくり被爆の実相をみてもらいたいという声がでていた。
東館から本館までは距離にしてわずか10数メートル。だが、アメリカにとって、そして岸田首相にとっても、その距離は長い。本館まで行ったかどうか詳細はまだ不明だが、少なくともオバマ大統領の時のように、展示物を1か所に集めて見学したのではなく、今回は首脳らが記念館を歩いて、展示物を見てまわったという。
岸田首相は資料館訪問後、周辺に「やはり各国のリーダーに被爆の実相に触れてもらうのは大事なことだと、きょうリーダーたちの姿をみて実感した」と話していたという。