心臓移植までの橋渡しではない「補助人工心臓」のいま1
重い心臓病の患者にとって、心臓移植の待機期間が、年々長くなっている中、新たな治療法が注目されています。私たちが取材したのは、拡張型心筋症を患い6年前に心臓移植を経験した41歳の女性。移植までには様々な壁を乗り越える必要がありました。
――松田さん(仮名)「病気が分かったのは中学1年生の時。22歳ぐらいで具合が悪くなり、心臓の弁の手術を受けました。26歳ぐらいの時に不整脈の治療を始めたもののよくならず、27歳の時に移植の登録をしました。その後も体調が芳しくなく、点滴での治療を続け、もうこれ以上は治療できないということで補助人工心臓を32歳の時につけました。その3年後にドナー(提供者)が見つかり、心臓を移植しました」
「当時私は入院中で、急に先生(医師)から『ドナーさんが見つかりました』『移植しますか、しませんか。10分後にまた来ます』と言われ、10分の間に自分の将来を決めなきゃいけない状態。もう本当泣いていましたね。10分で何ができるんだろう、私の心臓取り替えるってどういうことなんだろう、と判断も出来なかったので、絶対に忘れない10分間です。移植をしたくない理由も正直ありました。誰かの命を頂いてまで生きるべきかと思っていました」
「私独自の考えなんですけど、『(心臓を)お借りしている』と思っています。『代わりに使わせていただくので、楽しく一緒に生きましょう』という考えで生活をしようと思いました。その気持ちは今でも変わりません。もし自分に何かあったときに、むこうで会えたときに『ありがとうございました』と言える生活を送りたいなと思っています」
こう話す松田さん(仮名)は移植後、結婚しパートタイムで仕事をするなど社会復帰しています。しかし、国内は深刻なドナー不足で、移植を希望してから手術までの期間は年々長くなっており、6年から7年程度の待機が必要になると見込まれています。
実は、松田さん(仮名)は、臓器の提供側の家族として決断を迫られた経験もあります。
――松田さん(仮名)「提供する側も、ものすごい決断です。私が19歳の頃、母が55歳で脳の病気になり脳死状態が2週間続きました。私が最終的に心臓移植を必要とすると分かっていたので、母は臓器提供の意思を示すドナーカードを持っていました。『ドナー提供されますか』と医師に言われましたが、(私は)『はい』と言えませんでした」
「いま私は、提供していただいている身なんですけれども、ものすごい決断をご家族がされたと思っています。『待っている人が多いから、臓器提供して下さい』などと簡単に言えません。脳死といっても『生きてるじゃん。寝てるだけじゃん』と思うのは本当に分かります。『提供しますか』と医師は声をかけてくれますけど、すぐには判断できないというのは分かりますね」
「提供してもらう方もつらい気持ちです。『はい、もらいます』という軽い気持ちではありません。提供する方も『はい、あげますよ』という気持ちで、提供するわけではないというのは分かっています。でもその中で、提供者が非常に多くなってくれると、とても嬉しいです。それが、みなさんの心に響いたらなって思いますね。両方の立場を経験することはなかなかないと思います。本当に私は恵まれていると思いますし、普通の人が経験しないことも経験して私の運命として受け入れています。ここまで元気に生きられているのは本当周りの人のおかげだと思っています」
松田さん(仮名)が移植を待つ間、装着したのが「補助人工心臓」。体外にあるバッテリーやコントローラーは、患者のへそのあたりから出ている白いケーブルで、体内のポンプにつながり、血液を全身に送り出して弱った心臓を助けるものです。この「補助人工心臓」を使った新たな治療法が今、注目されています。東京大学病院心臓外科小野稔教授に聞きました。
――小野教授「余命が1年ないような重い心不全の患者さんの最後の治療として残されるのは心臓移植です。心臓移植を受けるために、何年も待たなければいけない状況の中、患者さんがなるべく元気に待つことができるよう、植え込み型の補助人工心臓が日本では2011年に健康保険で使えるようになりました。ただ『心臓移植までの橋渡し』という役割しかありませんので、年齢など何らかの理由で心臓移植が受けられない方に対しては、この植込型補助人工心臓は実は使えないのが一つの大きな問題でした。
翻って海外を見てみますと、この植込型補助人工心臓による治療は、日本より10年以上早く始まっています。特にアメリカで、やはり心臓移植への橋渡しの目的で始まったのが1990年代だったわけですが、それと同時に心臓移植が必要なくらい心臓の状態が悪いんだけども、何らかの理由で心臓移植を受ける資格が得られない重い心不全の患者さんを植え込み型の補助人工心臓で元気にして、なるべく長い間、社会復帰をしてもらいましょうと、そういう治療法が始まりました。これは、適切な日本語がまだないのですが、英語でそのまま『デスティネーションセラピー』と呼ばれています。日本でも、もう心待ちにしていたわけです。重い心不全を治療する内科の先生方、実際に手術をする私ども心臓血管外科の外科医、いずれも待っていたわけですね。色々な臨床試験や議論を経て、ようやく約4年前に治療が可能になったという背景があります。
それまで心不全で、もう病院にずっといる。100メートル歩くと、はあはあして、とても外出なんかできないような人が補助人工心臓をつけて遊びに行くことが可能なわけです。そうすると、病院にこもっているか家でじっとしているか、あとは死を待つのみという悪いことしか頭に浮かんでこない状況から、楽しいことが自由にできれば、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)は高いわけですよね」