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【関東大震災から100年】東京の気温が45℃を超えた! ~猛火が迫る中での気象観測~

2023年9月1日 10:07
【関東大震災から100年】東京の気温が45℃を超えた! ~猛火が迫る中での気象観測~
中央気象台における気温変化

■関東大震災

1923年9月1日午前11時58分、東京や横浜など南関東を巨大地震が襲いました。昼食時に起こったため、かまどや七輪などから同時多発的に火災が発生、強風にあおられて密集する木造住宅に燃え広がりました。

水道管の損傷により効果的な消火活動ができず、当時の東京市の世帯の6割以上が全焼する被害となりました。死者・行方不明者数は、東京市だけで68,660人、横浜市が26,623人、南関東と茨城、山梨、静岡を合わせた全体では105,385人に達しました。死者・行方不明者の87%が火災によるものとみられています。

■地震の時は南風が吹いていた

震災の前日に九州に上陸した台風は、西日本から北陸沿岸を東北東に進みました。震災の日の朝から昼頃にかけて、関東平野では台風に吹き込む南風が吹いていました。

台風は、本震が発生した昼頃には福島県付近に進んでいたものとみられます。中心の気圧は998hPaで、台風から温帯低気圧に変わっていた可能性もあります。

関東には西から不連続線(前線)が接近中であり、埼玉県秩父付近には局地的な低気圧が発生しました。

皇居の北側にあった中央気象台(気象庁の前身、現在の千代田区大手町にあった)では、1日正午に南南西の風12.3m/sを観測していて、樹木が揺らぐようなやや強い風が吹いていたことがわかっています。

本震の時間帯には関東平野の広範囲で南風が吹いていた。台風(低気圧)の影響で東京では南風が強まっていた。震災翌年の報告書掲載図を参考に作成した。当時の気圧の単位(mmHg)を現在の単位(hPa)に直した上で等圧線を引き直している。

■夕方に風向急変

台風から変わった温帯低気圧は、9月1日の夜までに東海上に抜けていきました。不連続線(前線)も南下し、関東平野の風向きは北風のところが多くなりました。

中央気象台の観測によると、不連続線が東京都心を通過したのは夕方だったようで、南風(午後5時)から西風(午後6時)に風向きが変化しました。

陸軍本所被服廠跡地(現在の墨田区横網)では、午後4時から5時半頃に火災旋風(炎の竜巻)が発生し、避難民およそ38,000人が巻きこまれて焼死しました。

火災により地表面付近の空気が高温であったこと、不連続線(前線)の通過により風向きの急な変化が生じたことなどが、火災旋風発生の原因になったかもしれません。

東京都心の風向きは午後9時には北北西となり、午後11時には21.8m/sの非常に強い風を観測しています(ロビンソン風速計による)。

本震発生から約10時間後の局地天気図。不連続線(前線)南下後、関東平野では西風や北風のところが多くなった。

東京都心では、南から西風に変わり、やがて西北西から北北西となった。夜になっても余震が発生し、東京市内の火災の延焼は続いていた。震災翌年の報告書掲載図を参考に作成した。

■気象台に迫る猛火

関東大震災では、東京市内の134か所から火の手があがり、57か所についてはすぐに消し止められましたが、77か所については火元の周囲に火災が広がりました。中央気象台からは本震1時間後の段階で、西に2本、南に1本、北に数本の煙が立ち上っているのが確認されています。

火災は、南風にあおられて、北側へ延焼が広がっていったとみられます。夕方に不連続線が通過してからは、風向きが西に変わり、夜は北風になりました。延焼の方向も夕方には東向きになり、夜は南向きに変わったとみられます。

中央気象台の北側と南側には堀があって、木造家屋の密集地帯ではなかったのですが、午後10頃にはフランス大使館から火柱があがり、皇居のある南西側を除いた270度の範囲は猛火に包まれるような状況となっていたようです。

気象台構内にも火の粉が降り注ぐようになり、防火もむなしく午後11時50分には気象台の建物が燃え始めてしまいました。

地震によって発生した火災は、南風の強風にあおられて北側に広がり、風向きの変化とともに、夕方には東へ、夜は南へ延焼が広がったとみられる。「東京市火災動態地図」を参考に、火元と延焼方向を現在の地図上に作図した。青字は震災当時の建物の位置。

■気温上昇45℃を突破

中央気象台の観測によると、本震が発生した1日正午の気温は28.7℃でした。午後8時頃までの気温は28℃から30℃位で推移しています。

猛火が迫った午後11時頃からは気温が上がり始め、2日午前0時には37.1℃、2日午前1時には45.2℃まであがりました。百葉箱内の最高温度計は46.4℃を示していました(焼失した気象台建物からの距離は45.5m)。

同じ時間帯の品川での観測では25.~26℃であったことから、40℃を超える高温は火災の影響と考えられます。猛火の中で観測が続けられていたことに驚かされます。なお、気象統計上9月1日と2日の気温の値は欠測扱いとなっています。

1日午後11時頃から気温が急上昇し2日午前1時には45℃を超えた。午前3時まで40℃以上であったが、この日の観測値は統計上欠測扱いとなっている。なお、東京における日最高気温1位の公式記録は、2004年7月20日の39.5℃である。

■震災イチョウ

東京メトロ竹橋駅の近くの皇居のお堀端(清麻呂公園)に一本のイチョウの木があります。このイチョウは関東大震災の時に文部省にあったもので、猛火の中で奇跡的に生き残りました。

復興事業によって切り倒される予定でしたが、当時の中央気象台長であった岡田武松氏の提言により、お堀の近くに移植されました。現在も皇居を散策する人々の憩いの場となっています。このイチョウの木は、2018年まで、生物季節観測の標本木として、秋の深まりを知らせる重要な役割を果たしました。

大手濠緑地(清麻呂公園)は、東京メトロ東西線竹橋駅2番出口を出たところにある。樹齢は約150年、幹回り3.6mの巨木。2018年までは生物季節観測の標本木であったが、2019年からは北の丸公園に標本木の変更がなされた。

【参考文献・サイト】
内閣府(2006)災害教訓の継承に関する専門調査会報告書「1923関東大震災」
国会図書館デジタルアーカイブ:中央気象台「関東大震災調査報告気象編(藤原咲平)」
東京大学駒場図書館デジタルアーカイブ:「東京市火災動態地図」防災専門図書館デジタルアーカイブ:「東京市火災動態地図」(震災予防調査会報告第百号)
(一財)国民公園協会「皇居外苑」WEB国土地理院:地理院地図(背景地図として利用)