“日本一終電の早い”住吉公園駅…最後の日
「日本一終電の早い駅」として鉄道ファンから愛されていた大阪の阪堺電車・住吉公園駅。多くの人が別れを惜しむ中、100年以上の歴史に幕を下ろし、その役目を終えました。
■いつもと違う光景
いつもと変わらない朝…。いつもと同じようにホームに入ってくる電車…。ただ、いつもと違っていたのは、これがこの駅にとって最後の電車で、その姿を見守る大勢のギャラリーがいたことです。
大阪市住吉区の阪堺電車・住吉公園駅。先月30日、まだ早朝だというのに、大勢の鉄道ファンが列をつくっていました。
東京から来た鉄道ファン「昔懐かしい雰囲気がある」
横浜から来た鉄道ファン「『都会の中の秘境駅』みたいな感じがする」
大正2年(1913年)開業の住吉公園駅はこの日、103年の歴史に幕を下ろします。
■“秘境”のワケ
住吉駅とのわずか200メートルほどの区間を結ぶこの駅が、鉄道ファンから“秘境”と呼ばれているのにはワケがあります。それは「日本一終電の早い駅」。
時刻表を見ると終電は午前8時半。午前7時台と午前8時台しか運行していないのです。最盛期には一日に200本の電車が発着していました。しかし、駅から100メートルほど東の位置に、より多くの電車が止まる住吉鳥居前駅があり、そちらを利用する住民も多いことから、2014年のダイヤ改正で朝のみの運行に縮小。
その結果「日本一終電が早い駅」として鉄道ファンの人気を呼ぶことになったのですが、線路の老朽化を理由に廃止が決まりました。
「満員でしたよ、毎日。後ろから押し合いして乗せないといけないぐらい。時代で…しょうがないですな」-60年前に阪堺電車の運転士だった荒田恒男さん(86)は、在りし日を懐かしんでいました。
■最後の朝…
最後の姿を見ようと小さなホームに約500人もの人々が集まる中、午前8時42分に最終電車が出発し、住吉公園駅は103年の歴史に幕を閉じた。
近所に住む人「子どもがおなかにいる時から妊婦健診で通っていて愛用していた好きな駅だったので、最後、お別れの意味を込めて、さみしい思いもありながら見送りに来ました」
たくさんの人たちの思い出が詰まっている駅舎は、取り壊さず残していく方針だということです。