天皇陛下“慰霊の旅”知られざる原点
今年、天皇として最後の夏を迎えられている天皇陛下。その「慰霊の旅」には知られざる原点がありました。
1945年、陛下は小学6年生。奥日光で終戦の日を迎えられました。陛下は後に、焼け野原となった東京の光景を忘れられないと話されています。
その陛下が初めて広島を訪問されたのは15歳の時。原爆で親を亡くした「原爆孤児」に会い、また小中学生に対し挨拶をされました。それが公の場での初めての“お言葉”となりました。
「みなさんの中には、大切な両親、あるいは兄弟と別れられた方も多いと思います。あの惨劇に二度と人類を陥れぬよう、大きな力とならなければと思います。がんばってください。私ももちろん、責任を自覚して、勉強と修養に努力していきたいと思います」
その後、皇太子として、天皇として、陛下は何度も広島を訪れ、祈りを捧げてこられました。
「今後再び、このようなことの無いよう、世界の平和を念願してやみません」
戦後50年には広島、長崎、沖縄へ。戦後60年にはサイパンへ戦後70年にはパラオへ――慰霊の旅を「天皇の務め」として大切にされてきました。そして平成最後の「終戦の日」、陛下は深く頭を下げられ、戦没者を追悼しました。
【the SOCIAL viewより】