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能登半島地震で長引く避難生活 暮らし再建へ…岐路に立つ人々【バンキシャ!】

2024年1月29日 11:14
能登半島地震で長引く避難生活 暮らし再建へ…岐路に立つ人々【バンキシャ!】
石川県では、能登半島地震の影響で今もなお1万人を超える人が避難生活を続けています。バンキシャ!が輪島市で訪ねたのはあるこども園。ここでは職員の家族や付近の住民など15人がともに避難生活をしていました。地震発生からまもなく1か月。どう暮らしを再建するかそれぞれが岐路に立っていました。

    ◇ ◇ ◇

27日、石川県・輪島市。倒壊した建物の奥に見えてきたのは、明かりのついた、こども園。この「和光幼稚園」は、地震当日から避難所になった。ここには園の職員やその家族、近所の人など、15人が身を寄せている。園長の藤山壱史さんも避難している1人だ。

部屋から見えたのは…藤山園長の自宅。

和光幼稚園・藤山壱史園長
「もう住むことができないので、こちらで生活しています」

別の部屋には、親子が避難していた。来月からは、離ればなれになるという。

板谷亮平さん(39)
「学校がいつ(再開)になるかわからない状態。金沢の方に子供ら2人と嫁さんは行って、自分はまだこっちで仕事がある」

──お仕事は?

板谷亮平さん(39)
「大工です」
「できることがあるのに、離れて行くのも心苦しい」

大工として街の復興に貢献したいと、1人輪島市に残ることを決意したという。

長女(8)
「金沢の学校行ったら、友達2人いたから」

──ちょっと安心?

長女(8)
「うん」

──パパと離れちゃうと…

長女(8)
「さみしいけど、電話とかできるから」

それでも、「はい、抱っこ」と長女が手を伸ばすと、板谷さんは長女を抱きかかえて「抱っこって言われたら、ずっとしたいな」と話した。

このこども園におよそ30年務めているという九内雅美さん。地震当日から夫と避難している。

和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん
「きのう金沢に行っていたんです」

──何しに? 

和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん
「みなし住宅の契約」

金沢市に部屋を借りるという。その理由は―。

和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん
「今は(金沢に)行くと、ホテルに泊まったり、友達の家に泊めてもらってお風呂入ったり、洗濯したりするけど、ずっと繰り返すわけにはいかない」

金沢に行くのは休日のみ。輪島市には仕事のため残るという。

取材を続けていると…

和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん
「多分、うちの子たちだ」
「こんにちは。遊びに来た?」

男性
「様子を見に」

やって来たのは、地震前ここに通っていた園児とその両親。いまは市内の別の施設に通っているという。

和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん
「こうやって退屈やしって、遊びに来る子たちがいる」

地震からまもなく1か月。九内さんがここで仕事を続けると、決意したワケは。

和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん
「保護者さんたち世代の人たちが、これから立て直していく街だと思う。その人たちが帰ってこられるようにするには、お子さんをお預かりする場所がないとお仕事できない。(園の再会が)できればいいなと思っています」

大きな被害を受けた伝統工芸は…。「輪島塗」を販売する岡垣祐吾さん(43)は、地震後、事務所内にあった輪島塗の漆器などをここに集めたという。

岡垣祐吾さん(43)
「元はコップだったんです」

完成するまで半年ほどかかる高級品がいくつも割れていた。

店も職人も被災し、物流網が回復するメドもたっていない。

岡垣祐吾さん(43)
「箱屋さんも倒壊したので、中の台紙も箱に合っていないけど、今あるもので取り合わせて」

箸の注文が入ると、台紙などは在庫があるもので対応しているという。

岡垣祐吾さん(43)
「まだ物流が来ていないので、(富山県)高岡市にお風呂に行くので、そのときに発送しようと思っています」

厳しい状況でも営業を続ける理由は。

岡垣祐吾さん(43)
「仕事場を失った職人さんも多いので、その方たち含めて今までと同じようにはできない。早く製造再開できるようにして、輪島塗をまたつなげていきたい」

(1月28日放送『真相報道バンキシャ!』より)