上皇さま「震災5日後のお言葉」を振り返る
新型コロナウイルスの感染が広がる中で元日に天皇陛下のビデオメッセージが公表されました。東日本大震災の時に出された上皇さまの先例を振り返り、今回のお言葉について考えます。(日本テレビ客員解説委員 井上茂男)
【コラム】「皇室その時そこにエピソードが」第4回「天皇陛下のビデオメッセージ(上)」
■東日本大震災の5日後に出されたメッセージ
東日本大震災の発生から5日後の2011年3月16日午後4時半。上皇さまのビデオメッセージがテレビで流れ始めました。
「マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています」
自衛隊や警察など救援活動を当たる人たちへの感謝を述べ、被災者に希望を捨てることなく不幸な時期を乗り越えるように呼びかけられたお言葉は5分半。用意したペーパーを見ながら、上皇さまはカメラを見て穏やかに語りかけられました。
■「緊急ニュースを優先して」放送にあたっての要請
激しい揺れと大津波が東日本を襲ったのは11日午後2時46分。福島第一原子力発電所は電源が喪失して原子炉の冷却機能がダウンし、政府の原子力緊急事態宣言を受けて近隣の被災者に避難指示が段階的に出されていきます。炉心溶融(メルトダウン)が起こり、12日には1号機の水素爆発で建屋が崩壊。14日には3号機、15日には4号機も水素爆発し、悪夢の連続に日本国内は騒然とした中にありました。
ビデオ収録が決まったのは15日です。上皇さまはこの日初めて原子力関係者や警察庁長官から被害状況を直接聞き、自分の気持ちを伝えることにされました。上皇后さまと相談しながら原稿の作成にかかられ、16日午後3時から収録、4時半から公表というあわただしい動きでした。公表を前に侍従次長から記者たちに2つの要請がありました。
(1)緊急ニュースが入った時は中断し、ニュースを優先してほしいというのが上皇さまの意向(2)メッセージは全体で一つだから、部分的な使用はやめてほしい――。その後、12日に菅首相に被災者へのお見舞いと関係者へのねぎらいの気持ちを伝えられたけれど、直接、肉声で、お気持ちを訴えたいという上皇さまの強い思いが説明されました。
■「人々の支えになりたい」というお気持ち
ぼろぼろになった当時の手帳に幹部に聞いたご様子が記されています。「発生直後からニュースをご覧。深く心を痛めている」「被災者を案じている。人々の支えになれればとお考え」。関係者の説明に居ても立っても居られず、人々の支えになりたい、と思われたことがうかがえます。ビデオの収録は、上皇后さまがインドで行われた国際会議に講演をビデオで寄せられたことがあり、お二人には馴染みのある方法でした。
この時、侍従次長は「陛下のステートメント(声明)は初めて」と補足しました。事実、現行の憲法下で、天皇が自らの意志でメッセージを出すのは初めてでした。天皇陛下のお言葉は、式典や会議の主催者から要請を受けて応えるのが通例で、スピーチの内容はご自分で練られても、あくまでも“受け身”です。日ごろの皇室取材で耳にすることのない「ステートメント」という言葉に、一歩踏み出すという重みを感じました。(下に続く)
【略歴】井上茂男(いのうえ・しげお)日本テレビ客員解説委員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。
(冒頭の動画は「上皇さま東日本大震災直後のビデオメッセージ」<2011年3月16日>)