雲仙普賢岳「定点」付近で車両掘り起こし
雲仙普賢岳の大火砕流から今年で30年。報道機関の取材拠点となっていた「定点」周辺で、火砕流に巻き込まれた車両が掘り起こされました。
当時、報道機関が撮影拠点としていた長崎・島原市北上木場町の「定点」。周辺には、火砕流に巻き込まれた車両が30年間、土や火山灰に埋もれた状態で放置されたままとなっていました。
その中には、報道機関がチャーターしていたタクシー会社の車両も。
小嵐タクシー・石橋雅一社長「どちらかがうちの車だった。(危険)認識をもう少し強く持っておけば、下ってみんな助かっていたと思う」
43人の死者・行方不明者を出した大火砕流から今年で30年となるのを機に、「定点」周辺は安中地区の住民らが中心となって、災害遺構として整備することに。クレーンなどを使って掘り起こされたタクシー2台と取材車両1台は、タイヤのホイールや車軸を残すだけとなっていました。
新聞社の車両からは、望遠レンズやカメラを安定させる一脚も見つかりました。トランクにあった、撮影で使っていたとみられる一脚には「写真部」の文字が確認できます。
元島原市職員・杉本伸一さん「私たちにいろんなことを語りかけていると感じている。災害(現場)に向かうことが何なのか、報道が何なのかを考える場所、慰霊の場所、プラスそういうものになれたらいい」
整備は今後も進められ、来月20日頃の完了を目指します。