見えない壁~福島・被災者と避難者~
まもなく東日本大震災から10年となります。補償金を受ける原発事故の避難者と補償のない津波被災者。両者が隣り合って暮らす団地で、お互いが誤解と軋轢(あつれき)を解消し壁を乗り越えようとする姿を取材しました。
「被災者帰れ」
福島の人が、同じ福島の人に叩きつけた言葉。
津波被災者「何の補償もないわけですよね、われわれ津波被災者は」
原発避難者「『あんたら(原発避難者は)賠償金もらったんでしょ?』って、ハッキリ言われた」
原発の補償金をもらったか、もらわなかったか。同じ福島の被災で“分断”が起きていました。
そんな人たちが隣同士で暮らす、いわき市の団地。左は原発事故からの避難者が暮らす県営団地。右は津波被災者が暮らす市営団地です。道路一本隔てて、お互いをさえぎる見えない壁。市営団地の自治会長を務める藁谷さん。自宅は津波の被害を受け国からの支援金では再建できず、やむを得ず土地を手放しました。
藁谷さん「いつまでお前ら(原発避難者)補償もらっているんだっていうのはあるわ」
原発避難者との補償の格差を感じていました。
県営団地に夫婦で住む、原発避難者の佐山さん。
佐山さんの妻・かをるさん「言われましたもんね。『いっぱい(賠償金)もらっているんでしょ』って」
佐山さんの故郷は、津波で壊滅的な被害を受け、原発事故により避難を強いられました。津波で家を失った場合、建物に対する賠償はありません。
佐山さん「賠償金もらったから、それでいいのかって言っても、だったら賠償金返すから、住めるようにしてくれよって」
新しい土地に早く馴染みたい、佐山さんは市営団地と県営団地の交流会を提案しました。交流会に向けて1人でチラシを配る藁谷さん。
藁谷さん「格差をなくすってことは、自分の力ではなくせない」「いまのところ見ると、みんなこうだもんな」「メキシコの壁じゃないけど」
2016年秋、初めての交流会が開催され、藁谷さんと佐山さんで参加を呼びかけます。住民の距離が縮まったと思っていました。
2回目の交流会に向けての話し合い、話は“お金の話”に。
津波被災者が住む市営団地の女性「県営の方はいいなって、毎月優雅に暮らして『税金も医療費もタダでいいな』って言ってますよ!みんな」
原発避難者が住む県営団地の男性「違う、違う!市民の人が分かっていないんだと思う。私ら避難している人の分が市に、1人当たり、4万2、3千円、いわき市に来ている(支払っている)、住民税払ってない代わりに」
津波被災者が住む市営団地の女性「正しい情報して頂かないと、みんな勘違いしたままで終わりますよ」
原発避難者が住む県営団地の女性「いくら説明しても、今おっしゃっている感じで聞かれると、伝わらないんですね、だから私たちは口をつぐんでます」
原発避難者が住む県営団地の男性「やっぱり故郷がないっていうのは、何か穴があいているような感じですよ」
お互いが、思っていた事を初めてぶつけました。
津波被災者が住む市営団地の女性「交流がすごく大事だと思う。あたしらも変な偏見の目で見てましたから」
原発避難者が住む県営団地の男性「だから(交流を)やりたいなと」
それから半年後、2回目の交流会。あの日、お互いの思いをぶつけた2人が一緒にお客さんを迎えます。
2つの団地を分け隔ててきた道路。その道を渡って、去年よりもたくさんの人がやってきました。
津波で被災 市営団地に住む藁谷さん「佐山さん来た」
2人の距離も縮まっていました。
佐山さん「ここ半年くらいかな、ずいぶん変わった。よそ行きの言葉を使わなくなった」
藁谷さん「これ(交流会)をこのまま定着させたい。役員代わっても」
佐山さんはこの年、初めて避難先のいわきで初日の出を見ました。
佐山さん「今年はいい年にしたいな。落ち着ける年にしたい。いわきでね」
※福島中央テレビで制作したものをリメイク。2018年2月放送、NNNドキュメント「3.11大震災シリーズ 見えない壁」より。