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難病のパティシエ伝える“支え合う”大切さ

2021年3月29日 18:58
難病のパティシエ伝える“支え合う”大切さ

筋力が徐々に低下していく難病を抱えながら地元で評判のケーキを作り続けるパティシエがいます。病気の進行で、一度は諦めた夢でしたがケーキ作りへの情熱を奮い立たせてくれたのは妻との出会いでした。


■難病を抱えながら作り続けるパティシエ

季節のフルーツをあしらった彩り鮮やかなケーキが並ぶショーケース。

「産地直送のフルーツ、無添加の材料にこだわって、安心して食べてもらえるケーキ作りをしています」

そう話すのは、千葉県松戸市にある洋菓子店『パティスリーみつ葉とはーと』の店主であり、パティシエの西村泰久さん。西村さんは、徐々に筋力が低下する進行性の難病を抱え、車いす生活を送るなか、57歳となった今でも日々ケーキ作りに励んでいます。病気の進行とともに、一度は諦めたパティシエの道でしたが、今でも続けられているのは、応援し支えてくれる人との出会いがあったからだといいます。


■小学生の時に感じた些細な変化

西村さんが身体の変化を初めて感じたのは小学生の頃でした。

「周りは走るのが速くなっていくのに、自分は逆にどんどん遅くなっていきました」

深刻に受け止めることはなく「運動神経が鈍いだけなんだ」と気にとめなかったといいますが、高校生になる頃には、手を使わないと立ち上がることができなくなるほど筋力の低下は進んでいったといいます。


■就職して2か月 明らかになった病

高校卒業後、お菓子作りが好きだった母親の影響で、都内のブライダル会社にパティシエの見習いとして就職しました。

しかし、その頃には重い物を持ち運ぶことができず、ちょっとした段差でも転倒してしまう程に筋力が衰えていたため、会社のすすめで検査を受けることになりました。

「検査の結果は“筋ジストロフィー”でした。聞いたこともない病名でしたね」

遺伝子の変異で徐々に筋力が低下していく進行性の難病、筋ジストロフィー。医師からは、10年後には車いす生活になるだろうと告げられ、「ただただショックだった」という西村さん。いずれは自分の店を持ちたいと夢に向かい歩み始めた僅か2か月後、19歳でのことでした。


■仕事を辞め車いす生活に 妻との出会いで再びパティシエへ

治療法がなく、その後も病気は進行していきました。自力で歩くことが困難になった42歳の時、20年以上勤めた会社を辞め、一時家に閉じこもる生活を送ります。

「このままではいけない」と人目を気にして敬遠してきた電動車いすに乗る決断をし、通い始めた福祉センターで転機となる出会いが訪れます。「視覚障害者のサポートをしていたのが今の妻でした。パティシエだったことを話したところ、子ども向けのお菓子教室を開かないかと提案されました」教室の運営を通じて、西村さんは次第にケーキ作りへの情熱を取り戻していきます。

■妻の支えで諦めた夢の実現へ

「パティシエの腕をもっとふるってほしい。2人で支え合えばお店だってできる」――背中を押したのは妻・加代子さんでした。お菓子教室を通じて、互いの役割分担を実践し、自信と信頼関係を築いてきた2人。加代子さんの負担は少なくありませんでしたが、迷わず受け入れてくれたといいます。

「1人では無理でも、妻のサポートがあれば、今の自分でもできるんじゃないかと思えました」

西村さん51歳のとき、「障害者と健常者が支え合うお店」という2人の思いを込めたお店がオープンしました。


■障害を乗り越え 地元に愛されるケーキ店に

オープンから6年。今でも2人で1日およそ100個のケーキを作ります。作業の大半は加代子さんがサポートしますが、デコレーションや、クリームの味付けには西村さんのこだわりが詰まっています。

「仕事がリハビリにもなってるのかもしれません」

病気の進行に反して、仕事のスピードは年々上がっているといいます。さらに、今では味が評判を呼び、病気を知らないお客さんも多く訪れるようになったといいます。

「病気とは関係なくお店自体が評価されてきている」と自信を深める西村さん。

「自分のような障害者でも、支えやサポートがあればやりたいことを続けられるんだということを伝えていきたい。障害を抱えているからといって目標や夢を諦めないでほしい」

夫婦二人三脚のケーキ作りは続きます。