聞こえる・聞こえないが調和する社会目指す
「聞こえる・聞こえない」の違いと向き合い、「教育」と「働く」に関する事業を展開するサイレントボイス代表の尾中友哉さん(31)。聴覚障害者の両親のもと、耳が聞こえる子どもとして育つ中で感じた“役割の違い”や実現したい世界観を聞いた。
■社会の変化を、耳が聞こえない人の世界にも投影する
聞こえない人も自分らしく生きられる社会を作りたい。そんな思いで事業を展開する尾中さん。「教育」事業を行うNPO法人と、「働く」に関する研修やコンサルティング事業を行う株式会社。同名の「サイレントボイス」というふたつの組織の代表を務める。
教育事業では、聴覚障害のある子どもがいる家庭を対象とした総合学習塾を運営。大阪の塾に加えて、オンラインで全国にむけたプログラムにも力を入れる。
オンライン授業を広げることで、地域による格差の是正を目指す。
「日本では、生まれた時から聞こえない・聞こえづらい子どもは約1000人に1人ほど。人口の少ない地方部では、塾を運営できる規模ではありません。また、公的な聴覚支援学校も近くになくて、寄宿舎に入らなければならない場合もあると聞きます。聞こえないだけで、生まれた地域で暮らす権利をなくすような状況。地域による格差に対してどう取り組むかは、私たちの中で大きな課題です」
一方で、オンラインだけでなく、オフラインでの共通体験も、コミュニケーションを育むには大切だという。現在は、出張教室を織り交ぜるなど、オンラインとオフラインを組み合わせた新しいチャレンジをしている。
さらに、教育を受けて成長した大人の、職業や職場の選択肢を広げる事業にも力を入れる。これまで、聴覚障害のある人が選択できる仕事は一部の業種に絞られていたという。ITツールの発達により選択肢は増えているが、まだ十分ではない。
より多くの選択肢を持てるように、サイレントボイスでは、企業むけに、聞こえる・聞こえないにかかわらず働きやすい職場をつくるためのコンサルティングを行っている。また、聴覚障害のある人の見る力をいかした非言語コミュニケーション研修の開発も行い、活躍しやすい職場や仕事の選択肢を増やしている。
社会の変化を、聞こえない人の世界にも提案することが自身の役割だという。
「テクノロジーの発展により生活は便利に移り変わっています。それに合わせて、聞こえない人たちの社会に提案する人が必要だと感じていて、その役割に立候補させてもらっている感じです」
■支援よりも、一緒にできること
サイレントボイスを立ち上げる以前は、広告会社で働いていた尾中さん。この領域で仕事をしたいと考えるようになった時から、「自分は支援者なのか?」という問いを持ち続けているという。
「転職活動をした時に出てきた仕事は、手話通訳や生活相談員など、聞こえない人の生活を“サポートする”仕事ばかりでした。もちろん、そういった仕事を否定するわけではありません。ただ、自分がそれをやれるかというと、感覚が少し違いました。支援するよりも、一緒にできることをしたいと思ったんです」
支援者ではない。その感覚は、聞こえない両親の元で育った尾中さんにとっては当たり前だったのかもしれない。
「生まれたての子どもは自分では何もできません。聞こえない両親の元で生まれて育った僕は、その時点で、聞こえる・聞こえないに関係なく、支援してもらっているといえます。一方で、聞こえない両親が困ることは僕が助けます。例えば、小学生くらいの頃から、電話は僕が話を聞き、手話で内容を両親に伝えていました。当事者の感覚としては、誰かが支援者と決まってるわけではなくて、場面によってそれぞれの役割を担っているだけ。助けるし、助けられる。一方的に助けるのではなく、相互に関係し合うことが自然でした」
この感覚が、それぞれの役割をいかしたいという今の事業につながっている。また、「働く」に意識を向けた背景には、父への思いもあった。
「父は人生に対する無念さみたいなものを感じていました。働く意欲があっても、聞こえないことで多くを諦めざるを得なかった。会社の中で機会も与えられず、それが給与にも響いてくる。仕事に対するいら立ちのようなものを抱えていて、どんな仕事をしているのかもずっと教えてくれませんでした。さらに、父より30歳も若い僕らの世代でも同じ問題が起きていると知りました。これだけ社会がアップデートされているのに、聞こえない人の環境は全然変わっていない。必ずより良く変えられるはずだと思いました」
そんな気持ちからサイレントボイスを立ち上げ、仕事の選択肢を増やすための事業を始める。さらに、半年後に同名のNPO法人を設立して教育にも取り組んできた。
■一人ひとり、目の前の相手を理解する
オンラインの教育プログラムは、コロナ禍で需要が伸びているという。今後は、地域による格差を是正する全国的なセーフティーネットとして広げていこうとしている。同時に、聞こえない人のできることにフォーカスした仕事・職場づくりにも力を入れていきたいと話す。
「ロールモデルになるような、どんな人にとっても働きやすい職場や、それぞれの特徴をいかして活躍できる職業を作りたいです。それが社会に根付いた時に、『教育』と『働く』を一緒にやってきた意味が生まれると思います」
勢いを増すサイレントボイスの事業。尾中さんへの相談も増える中で「自分は聞こえない当事者ではないことの自覚」や「聞こえる・聞こえないにとらわれすぎず物事を捉えること」は常に意識しているという。
「聞こえる時点で、聞こえない人と完全に同じ体験はできません。『聞こえない人が必要なものはこれです』みたいなことを、聞こえる僕が言うことの危険性は常に意識しています。橋渡しではありますが、当事者ではない。“違い”を認識することが本当のニーズに近づける手段だと感じています。聞こえる立場だから分かること、聞こえない立場だから分かることを尊重して、ディスカッションしながら一つひとつ解決に導いていきたいと考えています」
お互いの違いを尊重すること。それは、聞こえる・聞こえないだけの話ではないと、最後に尾中さんは話す。
「相手のことをわかろうとする努力が大切で、それは聞こえる・聞こえないという分け方に限る話ではありません。僕も、違いをいかすために、それぞれの人に合わせて理解しようと心がけています。その分、歩みが遅いという見方もあるかもしれませんが、楽しく働いたり、成果につながってきたりすることを実感しているので、このまま進んでいけたらと思います」
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この記事は、日テレのキャンペーン「Good For the Planet」の一環で取材しました。
■「Good For the Planet」とは
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今年のテーマは「#今からスイッチ」。
地上波放送では2021年5月31日から6月6日、日テレ系の40番組以上が参加しました。
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