「自宅療養は無理」経験者が語る難しさ
中等症でも重症化のリスクの低い患者は原則、入院をせず自宅療養とする方針について、改めて撤回はしないと明言した政府。7月中旬に夫が感染し、その後、自身と子供の感染も判明したという女性が、自宅療養の「難しさ」を訴えます。
■急増する感染者。家族感染も「自宅療養」
夫の感染後、生後6か月の息子と共に陽性になった女性。東京都内では、自宅療養者が1万4000人を超え、この1か月でおよそ13倍にまで急増していて、自宅内で家族や同居者へ感染する危険性についての懸念も高まっています。
自宅療養中だった夫の容体が急変し、後に自身と子供の陽性が判明したという埼玉県在住の30代女性は「こんなにつらいことは今までになかった」と、自宅療養の難しさを振り返ります。
夫の感染が判明したのは、7月中旬。40度近い高熱が出て、夫は倦怠(けんたい)感を訴えましたが、感染しやすい場所に行った覚えはありませんでした。
女性は、体調不良を訴える夫を車に乗せ、検査のために病院へ向かいました。車には3歳の長男と、生後半年の二男を同乗させざるを得ませんでした。
「近くに頼れる親族もおらず、子供だけを家に置いておけません。窓を開けて、空気を入れ替えることしかできず、家族全員が危険だと思いましたが、他に方法がないんです」
■「まだ若いから」救急車や入院に及び腰
夫の感染判明後、女性と6か月の二男も感染。家族で陰性は長男だけに。女性と夫はともに30代。緊急事態宣言下で、若い世代が救急車を利用していいのか、この症状で入院やホテル療養のお願いをしてよいのか、判断がつかず葛藤もあり、自宅療養を選択したと打ち明けます。
そして、夫の陽性判明から2日後、保健所の指示により検査を受けたところ、女性と生後間もない二男(6か月)の陽性が判明。家族の中では唯一、長男(6)だけが陰性と診断されました。
「夫に症状が出た時点で、私たちも感染しているのではないかと感じていました。幸いにも二男に症状はなく、私も少し熱が出ただけでした」
■悪化する夫の容体、それでも入院はできず
しかし、自宅での夫の容体は日を追うごとに悪化。解熱剤が効かず高熱が何日も続き、咳も出はじめ「精神的に強かった」はずの夫の口数も、明らかに減っていったといいます。
「実はこのとき、保健所に連絡して入院希望であることを伝えていました。でも、今の段階では入院はできないと言われてしまって」
入院もかなわず、仕方なく自宅療養を続けていた夫の容体は、陽性判明からおよそ1週間後にさらに悪化します。
「着替えるときもフラフラして顔色も悪く、パルスオキシメーターで測定したところ数値が90%くらい。さすがにこれはまずいと思い、もう一度保健所に連絡を取り、何とか入院の手続きをしていただきました」
血中の酸素飽和度と脈拍数を測定するパルスオキシメーターの数値は、96~99%が標準値とされており、90%以下の場合、十分な量の酸素を臓器に送ることができない「呼吸不全」の状態に陥る可能性があるとされています。
■中等症だった夫と「二度と会えないかも」 頭をよぎる死
肩で呼吸しながら、足元もおぼつかない状態で、迎えに来た救急車に乗り込む夫の後ろ姿を見て「もう二度と会えないかもしれない」という恐怖を覚えたという女性。最悪の場合、自身と子供たちだけで生きていかなければならないと、覚悟をしたこともあったといいます。
急きょ入院した夫について、病院は「重度の肺炎、あと1歩で人工呼吸器が必要な中等症の状態だった」と説明。予断を許さない状況が続いてはいたものの、最悪の事態を免れたことに、少し安堵したと打ち明けます。
■陽性者が陰性者と暮らす「自宅療養」
しかし、つらい状況は続きます。家族の中で唯一陰性だった長男と、陽性である女性と二男が、引き続き同じ家で暮らさざるを得ないという現実があったからです。
「遠くに住む親が、長男だけでも預かろうかと言ってくれましたが、万が一感染していたら親も危ない。結局、親子3人で自宅療養する道を選びました」
小さな子供に「感染対策」が理解できるはずもありませんでしたが、自宅内でも手洗いやマスクの着用を徹底。母として、当然子供の感染は避けたいと考えていましたが、もし感染しても重症にさえならなければ、そして命さえ助かればいいと、わらにもすがるような心境に変わっていったといいます。
「子供を守らなければと思っていましたが冷静になることはできず、しっかりしなさいと電話口で母に激励される度、泣いていました。こんなにつらい経験は今までになかったと思います」
■知人の支えに救われて…。準備の大切さを再認識
知人らが送ってくれた食料品。自宅まで届けてくれた友人も。陽性者と陰性者が同じ家に住まざるを得なくなる「自宅療養」がいかに大変で、現実的でないかを痛感したという女性。
それでも、励ましてくれる知人がいたことは、女性にとって唯一の救いになったといいます。
「食料を送ってくれたり届けてくれたり、メッセージを送ってくれる方もいて、かなり救われました」
1人でも感染してしまえば、家族全員が危機にさらされるという状況の中では買い物も行けず、知人が送ってくれた食料品などで自宅療養を何とか乗り切ったという女性。食品だけでなく、生理用品や生活用品、また小さな子供たちを飽きさせないような玩具、お菓子などを備蓄しておくことがいかに大切か、思い知ったとも話します。
■「情報をすべて受け止めないで」感染したからわかったこと
女性は、感染したからこそわかったことがあるといいます。「まず、万が一感染しても、必要以上にマイナスだと思わないこと。不安は計り知れませんが、ネットやSNSで情報収集しようとしても、ありとあらゆる情報の中で何を信用していいのかわからず、余計に不安になるだけ。親の不安が子供に影響しないよう、母としてしっかりするしかない」
その後、夫の容体は快方に向かい、「一家全滅」の危機から何とか脱却したと話す女性。自宅療養者が増えれば、同じようにつらい思いをしなければならない親や子供も増えるのではないか、女性は最後にこう訴えました。
「経験者として、自宅療養はやはり現実的ではないと思います。自宅療養が実際にはどういうものなのか、もっと多くの人に知ってほしい」