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皇室とスペイン王室 知られざる深い交流

2021年9月20日 9:00

天皇皇后両陛下の出会いのきっかけになるなどスペインと皇室との深い交流について、日本テレビ客員解説員の井上茂男さんとスポットを当てます。

――こちらはどういう場面ですか

1992(平成4)年7月24日夜、訪問先のバルセロナのリセウ劇場でオペラ歌手のリサイタルを聴き、帰られる皇太子時代の天皇陛下です。この場面、陛下は劇場で45分間も足止めを食わされていたんです。この年、陛下は万博とオリンピックが開かれたスペインを10日間にわたって訪問されました。この日は、五輪開会前夜、バルセロナに聖火が到着した夜でした。町を挙げてのお祭り騒ぎで、劇場前のランブラス通りを聖火が通過すると、通りは熱狂に包まれました。そのため陛下は出るに出られず45分も足止めされ、やっと出発できたのがこの場面です。午前0時を回っていたように思います。私も現地で取材していましたが、警備陣もあきらめ顔だったことを思い出します。陛下だけは熱気を楽しまれているように悠然とした表情で臨まれていました。

――ランブラス通りは、日本でいうと渋谷センター街のような若者がたくさん集まる場所で、そこに陛下がいらっしゃるというのは大変驚きました。

この日、陛下は、バルセロナのオリンピックの選手村を一般の人と同様にIDを首からかけて訪問し、テニスの伊達公子さんなど60人ほどの選手団を激励されました。また、開会式や男子バレーボールの日本対アメリカ戦を観戦し、フアン・カルロス国王や王室の方々とも交流を深められました。

――スペインはヨーロッパの西に位置し観光地としても人気があります。天皇陛下が初めて訪問されたのはいつなんですか

スペインは、天皇陛下のご訪問の多い国で、過去6回訪問されています。最初の訪問は高校2年生の時です。スペインとベルギーを旅行され、スペインでは有名なアルハンブラ宮殿などを訪ねられました。続いて英国留学中には、スペインを旅行しマヨルカ島の別荘に国王夫妻を訪ねて交流されました。この時は、当時のフアン・カルロス国王夫妻の大歓迎を受け、皇太子時代のフェリペ国王に島内を案内してもらっています。以来、フェリペ国王とは深い親交が続いています。

2004年には、フェリペ国王の結婚式にも招かれています。レティシア妃は国営テレビの元ニュースキャスターで、離婚経験もあり、そのキャリアが話題となりました。皇后雅子さまは訪問の半年前から療養生活に入られ、同行が見送られました。

一方、フェリペ国王夫妻も、お二人で来日して両陛下と交流を深めています。2017年の国賓としての来日では、宮殿で皇后さまとレティシア王妃が、親愛の情たっぷりにチークキスを交わされる姿も見られました。さらに、「即位の礼」で来日した時にも、王妃が皇后さまの背中を抱いてさするように気持ちを表し、親しさが分かる場面がありました。お二人のキャリアが似ていることもあるのかもしれません。

――皇后さまもとても晴れやかな表情ですね。お互いの文化を尊重しながら大切にされているんだなということが伝わってきます。

実は、天皇陛下と皇后雅子さまのご結婚は、スペインなしには語れません。「出会いのきっかけ」なんです。

1986(昭和61)年10月、スペインのエレナ王女が、日本で開催された「エル・グレコ展」のために来日しました。この時、東宮御所でレセプションが行われ、同じ世代ということで外交官試験に合格した直後の小和田雅子さんが招かれていました。天皇陛下はここで見染められたんです。1992年のスペイン訪問の時期は、ご結婚の重要な局面にありました。1992年のバルセロナ訪問前の5月に小和田家にお妃候補にという意向が伝えられ、帰国から2週間後の8月には関係者宅で再会、10月には新浜鴨場でのデートで陛下はプロポーズされました。陛下が悲観的になられる時期もありましたが、この年の12月末に内々にご結婚が決まります。エレナ王女の来日、スペインご訪問前後の動き。スペインは両陛下の重要な局面でかかわっています。

――スペインと両陛下には不思議な縁があるんですね。スペインとのつながりは、いつ始まったのですか

戦後の日本の皇室とスペインとの交流は、1953(昭和28)年6月、皇太子時代の上皇さまが英エリザベス女王の戴冠式で訪欧し、スペインを訪ねたところから始まります。この時のスペインはフランコ総統率いる共和制の国でした。

1975(昭和50)年、王政に復古し、フアン・カルロス1世が即位します。5年後には来日、当時の東宮御所に上皇ご一家を訪ね、今の天皇陛下も会われていて、家族ぐるみの親交が長年行われてきました。しかし、スペインとの交流自体はもっと長く、中世まで遡ります。

2013年は「日本スペイン交流400周年」でした。1613(慶長18)年、仙台藩主の伊達政宗が支倉常長をスペインに派遣します。「慶長遣欧使節」と呼ばれる最初の公式使節団です。それから400年ということで、両国で記念行事が行われ、天皇陛下が訪問されました。陛下はセビリアでフラメンコを鑑賞したり、サンティアゴ・デ・コンポステーラで世界遺産にもなっている「巡礼の道」を歩かれたりされましたが、中でもコリア・デル・リオで熱狂的に迎えられました。「慶長遣欧使節」が滞在したコリア・デル・リオには、支倉常長の銅像が建ち、スペイン語で日本を意味する「ハポン」という姓を持つ人が多いことでも知られます。陛下は、ハポン姓の人たちと交流し、日本への熱い思いに触れられました。 

もう一つ、スペインで忘れてはならないのが東日本大震災で支援が寄せられたことです。特に福島原発事故の初動対応に従事した「フクシマの英雄たち」に対し、スペインの権威ある「アストゥリアス皇太子賞」が贈られています。陛下は2013年のご訪問の時、スペイン語で「逆境の時の友が真の友」という諺を引いて、温かい友情と連帯が両国の絆を深めたことに触れられています。

――天皇陛下はスペイン語を交えてスピーチされたんですね

天皇陛下は、家庭教師についてスペイン語の会話を勉強されて、現地でのスピーチの中にスペイン語の部分を加えられたこともあります。愛子さまも大学の第2外国語でスペイン語を学ばれています。幼い頃、一緒にスペイン語のレッスンを受けて興味を持たれていたようです。

スペインとの交流には400年余の歴史があり、また皇室と王室の往来があって今日の友好関係があることがわかります。今はコロナ禍で外国訪問ができる状況にはありませんが、スペインは陛下にとっても訪問したい国の一つでしょうし、日系人が多い中南米の多くはスペイン語圏です。コロナの収束後には、勉強されているスペイン語を生かして、多くの人たちと交流していただきたいと願っています。

【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。

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