三笠宮妃百合子さま「斂葬の儀」 約500人が別れ惜しむ 喪主・彬子さまも涙
11月15日に皇室最高齢の101歳で亡くなられた三笠宮妃百合子さま。その本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」が、26日に行われました。皇族方をはじめ、約500人が参列し、別れを惜しみました。
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秋篠宮ご夫妻、天皇皇后両陛下の長女・愛子さまなど、皇族方が見守られる中でのお別れ。遺影は去年5月に100歳、百寿にあたり撮影されたもので、お人柄がしのばれる1枚をご家族が選ばれたということです。
11月15日に老衰のため皇室最高齢の101歳で亡くなられた三笠宮妃百合子さま。26日に本葬にあたる「斂葬の儀」が東京・文京区の豊島岡墓地でしめやかに営まれました。
昭和天皇の弟である三笠宮崇仁さまの妻であり、天皇陛下の大叔母にあたる百合子さま。「ヒゲの殿下」として親しまれた長男・寬仁さまをはじめ三男二女の5人のお子様を育てられました。
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午前9時。「霊車発引の儀」が行われ、百合子さまの柩を乗せた車が長年住み慣れた我が家をあとに。午前9時半ごろ、百合子さまの柩が豊島岡墓地に到着しました。
その後を、喪主を務める孫の三笠宮家の彬子さま、皇族総代の高円宮妃久子さまが歩かれ、柩は葬場にゆっくりと運び込まれていきました。
そして、午前10時から「斂葬の儀」のうちの「葬場の儀」が開始。秋篠宮ご夫妻や天皇皇后両陛下の長女・愛子さま、秋篠宮家の二女・佳子さま、長男の悠仁さまなど、10人の皇族方が参列されたほか、石破首相ら約500人が出席しました。愛子さまと悠仁さまは皇族の葬儀に出席されるのは初めてです。
天皇皇后両陛下と上皇ご夫妻は儀式には参列されず、侍従長らが代理で参列しました。
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大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生きられた百合子さま。その功績や人柄などをたたえる「祭詞」が読み上げられました。
「祭詞」の要旨
「大正12年6月4日に子爵高木正得の二女としてお生まれになり、崇仁親王とご結婚。トルコをはじめ中近東との親善を深め、殿下と共に発掘調査にも同行し内助の功に尽くされました。夫宮(せのみや)を亡くされてからは夫宮のお姿、お話されたお言葉を思い出し、日々を送られていました」
結婚70年を迎えられた際、三笠宮さまが「陰になり日なたになり私を助けてくれたのは、妻百合子だった」と感謝を寄せるほど、仲睦まじい様子だったご夫妻。
そして、百合子さまに対し、特別な思いを寄せるのが喪主を務められた孫の彬子さまです。
去年、日本テレビのインタビューで、「百合子さまとの語らいは宝物のような時間」で、百合子さまは「お手本」であり「目標」だと語られた彬子さま。
喪主として気丈に振る舞われていましたが、思いがあふれ出す場面もありました。
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正午ごろからは一般の拝礼も行われました。
参列者
「今お参りしたら涙が本当に出てきた」
「最後まで凜としていられて素敵でした」
午後4時半ごろからは「斂葬の儀」のうち、納骨にあたる「墓所の儀」が開始。百合子さまのご遺骨は、夫の三笠宮さまと同じ墓所におさめられます。