「家族じゃない人には…」同性パートナーが事故で意識不明に…面会も容体確認もできず選んだ“養子縁組”
■事故があったと“連絡がこなかった可能性も”
──タカシさんとはどういうご関係ですか。
今年で25年目。割と長い、落ち着いたパートナーといった感じです。事故の前は、一緒に週末出かけたり、旅行に行ったりということが多かったです。私が消極的な性格の一方、タカシさんはとても積極的で自己肯定感も高い人でした。落ち込んだ時とかに助けてくれるので、信頼できる相手として、いつも一緒にいました。
──2022年3月にタカシさんが事故に遭ったとき、どんな連絡が来たんですか?
普段だと仕事が始まる時と終わる時にLINEが来ます。その日も朝「仕事行ってくるね」と来て、僕も「いってらっしゃい」と返したんですが、それがずっと既読にならなかったんです。夜遅い時間になっても来なかったので心配していた時、タカシさんが働く会社の役員の方から電話があり、事故に遭ったという知らせを受けました。
タカシさんがバイクに乗っていて、相手の車が無理やり右折してきた際の事故でした。意識がない状態で、事故後はすぐに緊急手術等が行われたのですが、その後も意識はしばらく戻りませんでした。
──もしお2人が男女のカップルとして結婚していたとしたら、事故の連絡は、最初にマサノリさんに来ていたかもしれません。
連絡が来たのは、事故から半日以上経っていました。タカシさんは、割と自分のセクシュアリティーをオープンにしていて、(新宿2丁目で店を経営している)会社のことを家族にも知らせていました。それがなければ、僕のところに連絡が来なかった可能性もあります。
その翌々日、休みを取って病院に行きました。「今ICUに入っているので、とりあえず行ってください」とICUの入り口へ行くと、「家族ではない」ということで、「特に何もできない」と言われました。タカシさんがどんな状態なのか、情報ももらえなかったです。
そういう(意識がない)時は、親しい人の言葉や、名前とかを言ってあげるといいと聞いていたので、“私の名前を呼びかけてほしい”とお願いもしました。ただ病院からは、やはり家族ではないということで、「そういうことはちょっと難しいです」と言われましたね。
──本人にとっては、一番の勇気付けになるかもしれないけれど、対応してくれなかったんですね。タカシさんに同性のパートナーがいることを把握している人は誰かいましたか?
それまで面識はありませんでしたが、タカシさんのお兄さんとお会いして、パートナーということを認めていただきました。お兄さんと一緒に病院に行けるときは一緒に行くというようなことは何回かありましたね。
タカシさんの状況や治療方針について、僕に直接情報が入ってくることは全くありませんでした。僕が病院に問い合わせても(教えてもらうことは)難しいので、お兄さんに連絡して状況を聞くという感じでした。
ただ、お兄さんも僕のことをまだ分かっていなかった。いきなり出てきて、「25年付き合ったパートナーだ」と言っても、なかなか信頼はできなかったと思います。タカシさんのために、僕もお兄さんに積極的に色々言っていこうとも考えましたが、万が一嫌がられてしまったら、もうそこで関係が切れてしまう可能性があったので、 “僕は今、何をしたらいいのだろう”とか、そういう不安は日々抱えていました。
──マサノリさんはパートナーであることだったり、タカシさんと寄り添っていく姿勢を見せるためだったり、色々なことをされたと聞いています。どんなことをされたんですか?
その時から、タカシさんの身体に麻痺が残ってしまう、車椅子生活になることが分かっていました。ご両親になるべく住み慣れた家で暮らして欲しいと事故前によく言っていたので、そうすると本人も同じ気持ちなのかなと思い、自宅に帰らせてあげたいと思いました。そのためには介護が必要と、介護の勉強をして、資格を取りました。経験のため、半年ほど現場で働くということもしました。
■選択肢がなく“養子縁組” パートナーなのに“親と子”に
──「もし法的なパートナーだったら」「同性婚があって夫婦であったら」と想像することはありましたか?
もちろんありました。病院に問い合わせればすぐ状態が分かるわけですし、本当に(法的に)家族であれば、僕であれば毎日電話をして状況を確認できていたんだろうなと日々考えていましたね。「家族以外には伝えられない情報です」ということは、何度も言われました。
──一番タカシさんのことをよく知るはずのマサノリさんが“家族ではない”ということで、情報を開示されないのは、タカシさん本人にとっても大きな不利益だと思います。状況が進んでいかない中で、どうされたのですか。
僕らの場合は養子縁組という方法を取りました。日本でも同性婚を認めるという動きが進まない中、「やるとしたら養子縁組だな」という彼の言葉を思い出しました。家族となるならば、今できるのは養子縁組しかないのかなと思いました。
──私もゲイの当事者なので、養子縁組という手段は意識します。制度を利用する時、気持ち的には“これで解決”という気持ちなのか、“仕方ないからやる”なのか。どういう気持ちでしたか?
もう選択肢がそれしかない、というところです。「もっとタカシさんの役に立ちたい」
「動けることは動きたい」。本当にできることがそれしかなかったから選んだという感じです。
養子縁組ではタカシさんの方が年上なため、“タカシさんが親”、“私が子”ということになっています。ですが、普通にパートナーとして付き合っていたので、同性婚があったら同性婚を選んでいたと思います。
養子縁組をして、(タカシさんの)大体の手続きができるようになりました。ただ、実際にそういう場に行くと、「お父様のことですね」と言われる。違和感がありますね。今後、人生いろいろある中で、“親と子”という関係でくくられてしまうことがあるのかなということも今、不安は持っています。
■結婚しているカップルには言わない“悲しい言葉”
──タカシさんが事故に遭われて2年半、言われて辛かった言葉などありますか。
考え方は人それぞれだと思うんですけど、人によっては「もう放っておいて自分の違う人生を歩んだらいいんじゃない」というようなことを、悪気なく言ってくる人もいました。ある意味、僕のことを思ってくれているのかもしれないですけど。
結婚しているカップルだったら、あまり言わないことだと思います。そういう言葉を聞くとちょっと悲しくなりますね。
──今、タカシさんはどういったことを世の中に伝えたいと思っているんでしょうか。
マイノリティーの人たちの保障について。普通の人にはある“最低限の保障”のようなものがありません。
やはり同性婚であったり、それに準ずる法律があることで、私のような辛い目に遭うことがかなり減ると思うんですね。しかもそれがあることで迷惑を被るってことはなかなかないんじゃないかなと僕は思うんですね。そういう意味で、同性婚のような何か保障をしてくれる制度は早急に必要なのではないかなと思います。
僕と会えなかった時期と重なるのですが、タカシさんは、事故から1年半ぐらいの記憶があまり残っていません。最近、退院に向けた介護指導などがあり、よく病院で顔を合わせて話すことになったのですが、そこからの回復の伸びがすごい、と言われました。ありがたいことに、僕と一緒になって元気になってくれたというのはとても感じています。
元々60歳を超えたら、少しずつ2人で楽しむ人生にしたいと言っていました。多少、身体的にも制限が出てしまったので大変なことはあると思うけれども、今、本人がだいぶ気持ちを持ち直してきて、色々なところに行きたいとか、そういう前向きな気持ちを持っています。事故前と変わらず、2人でこれからの楽しめる人生を築き上げていけたらいいなと思っています。
日テレ報道局ジェンダー班のメンバーが、ジェンダーに関するニュースを起点に記者やゲストとあれこれ話すPodcastプログラム。MCは、報道一筋35年以上、子育てや健康を専門とする庭野めぐみ解説委員と、カルチャーニュースやnews zeroを担当し、ゲイを公表して働く白川大介プロデューサー。
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