戦後最悪の噴火災害「御嶽山噴火」から10年… “噴火を知らない”娘が父親と共に御嶽山へ 山岳救助隊として活動した父親が伝えたかった「大切なこと」
2014年9月27日に発生した御嶽山の噴火から10年。当時、現場で救助活動にあたった父親と生後8か月だった娘が今年、御嶽山の登山に挑戦しました。“初めての御嶽登山”となる娘に、父親は何を伝えたのでしょうか…。
「山の怖さと素晴らしさを伝えたい」 10歳の娘と共に御嶽山へ
戦後最悪の噴火災害となった、10年前の御嶽山噴火。58人が亡くなり、今も5人が行方不明のままです。
下呂市役所の職員で、噴火した時は山岳救助隊としても活動していた今井富樹(とみき)さんは、けが人の搬送の依頼を受け、噴火の翌日、避難者の救助に向かいました。そこで目の当たりにしたのは、普段とは違う、牙をむいた御嶽山の姿。
今井富樹さん:
「山との向き合い方も、本当に素晴らしい面を持っているんですけど、そこだけじゃないなって。いざ牙をむいた山を見ると、危険とは紙一重だなと実感しましたね」
そんな富樹さんは今年、まだ御嶽山に登ったことがない10歳の娘・せいはさんを登山に誘いました。過度に恐れるのではなく、正しい知識を身につけて、山の素晴らしさを伝えたい。そんな思いがあったからです。
御嶽山が噴火した時、まだ生後8か月だったせいはさん。御嶽山が火山というイメージがなく、最近まで噴火があったことも知らなかったと話します。
自宅では、持っていく登山グッズも親子で一緒にチェック。「もしも」を想定して準備を行います。
今井せいはさん:
「私が父から聞いたのは、『せいはの体力が持つかどうかや』って言われたので、自分の体力がちょっと心配です」
期待と不安が混ざり合う御嶽初登山。果たして、せいはさんは登り切ることができるのでしょうか…。
噴火を知らない娘が初登山 父が伝える御嶽山の「魅力」と「備え」
長野と岐阜に複数の登山口がある御嶽山ですが、今回は下呂市の登山口から飛騨頂上と呼ばれる「五の池小屋」を目指します。メンバーは、今井さん親子と親戚やその子どもたち合わせて6人。
そして、いよいよ出発の時を迎えました。御嶽初登山となるせいはさんの目標は、5時間以内に登り切ること。出発前に「ちょっとした崖もあるらしいので、緊張感を持って登りたい」と話していましたが、緊張が高まりすぎたのか、歩きはじめは会話する余裕もない様子。
“山のプロ”である父親にしっかりとついて行こうと足を動かし続けますが、舗装された道路とは違い、歩きにくい山道。バランスを崩し、転びそうになることも一度や二度ではありません。それでも、せいはさんは懸命に登り続けます。
山道を歩きながら「登山中は他の登山者を見たらあいさつする」などのマナーも教わります。遭難など、もしものことがあった場合、言葉を交わした記憶が目撃情報として役に立つケースがあるのです。
登山道の途中には、噴火した時に逃げ込むためのシェルターがありました。噴火の後につくられたもので、富樹さんも設置作業を手伝ったそうです。シェルターの天井は噴石にも耐えられる素材でつくってあると、せいはさんたちに説明します。
さらに進むと、背の高い木が生えない「森林限界」に到達しました。せいはさんの身長くらいの植物が生い茂る、その先にあったのは、見渡す限りの絶景。子どもたちからも「すごーい!」「きれい!!」と思わず声が上がります。
初めて見下ろす美しい景色に心を奪われますが、ゴールまであと少し。山頂の近くは大きな岩があちこちに転がる歩きにくい道が続きますが、最後の頑張りを見せます。
そして、出発から3時間半。ついにゴールの「五の池小屋」が見えてきました。なんと予定より1時間以上も早い9時16分に到着!
登り切るだけではなく、大切なことを娘に伝えるのも富樹さんの目的の一つ。「五の池小屋」付近から見える剣ケ峰(頂上)を指さし、「あの裏側が噴火口になっている」と説明します。
今井せいはさん:
「けっこう高いところで噴火したなと思いました。もうちょっと低いところで噴火したかと」
せいはさんは初めての御嶽登山を満喫したようですが、それは正しい知識を身につけて“備え”をして登ったからこそ。もし、今ここで噴火が起こったら…。10年前、実際に噴火が起きた現場に立ち、火山教室や御嶽山の初登山を通して学んだことを振り返ります。
今井富樹さん:
「まだ(娘は)山頂までは行けていないので、次は剣ケ峰にチャレンジしたいなと。そこでシェルターも近くで見て。火山なんでね、いいところも持っている半面、牙もあるのよってところも。次回は剣ケ峰、行くか!」
自然は美しく素晴らしいものですが、突然牙をむくこともあります。御嶽登山を見事にやり遂げたせいはさんは、“知識を身につけて、正しく恐れ、正しく備える”という父親の教えを、しっかりと受け止めたようです。