「不幸とは幸せだと“気づけない”こと」脳腫瘍と闘った18歳の少女、絵本で伝えたかった“私が生きる意味”
“不幸”を“幸せを得るキッカケ”だと気付き、感謝の気持ちをもって受け入れる。だからこそ、どんなものにも存在する価値と意味がある。“バツくん”の成長物語を通して、脳腫瘍と闘い続けた少女が伝えたかった「生きる意味」とは。
18歳の少女が“左手だけ”で描き上げた絵本
18歳の少女が“左手”だけで描いた絵本がある。間違いに“バツ”をつけることが仕事の主人公・×(バツ)くんが、周りから否定されつつも、自分の存在価値を見いだし、成長する様子を描いた物語だ。
絵本を書いたのは、愛知県江南市に住んでいた坂野春香さん。3年前の12月20日、脳腫瘍で亡くなった18歳の少女だ。
発症したのは小学6年生の11歳。数ある脳腫瘍の中でも悪性が強く、半数の患者が発症から約1年で亡くなる病気だった。それでも、約7年間生き抜き、病気の影響で体が動かなくなっていくなか、左手だけで描き上げた作品が「×くん」だ。
坂野家の二女として生まれ、“絵を描くこと”が大好きだった春香さん。コンクールでいくつも賞をとるほどの腕前で、病気で右手が不自由になっても指に絵の具を塗って絵を描きあげてきた。
それほど絵を描くことが大好きだった春香さんが、最後に描いた作品が「×くん」だ。部屋に飾られた作品「×くん」を手に取り、1ページずつ大切そうに眺める、春香さんの母・和歌子さん。主人公・×くんを眺めながら、「(春香さんが)右半身麻痺と失語症になったからこそ、(×くんに)自分を投影しているところがあったんじゃないかなって思いますね」と、当時の春香さんの心境を語る。
病に冒されながらも、自分の命と向き合い、18歳と9か月を懸命に生きた春香さん。彼女が病気を通して知った“生きる意味”と家族への感謝の気持ち、大好きな絵を通して“伝えたかった想い”を辿る。
家族に感謝「どんなところにも美しいものはある」
17歳の秋、一度は手術によって取り除いた腫瘍が再発。2度目の摘出手術を受けることになった。手術中に麻酔から覚醒させた上で脳機能を確認しながら摘出を進める「覚醒下手術」という手術法で、体に大きな負担がかかる大手術だ。さらに、春香さんと家族は手術後の経過として、どちらかの“リスク”を選ばなければならなかった。「腫瘍を出来るかぎり摘出することで長く生きることができるが、身体機能や言語能力に障がいが残るリスク」、もしくは「身体機能を残すことは出来るが、再発や病状が悪化するリスク」だ。
大手術の決断だけでなく、17歳の少女に突きつけられた残酷な“リスク”の選択肢。春香さんの父・貴宏さんは「腫瘍をたくさんとると、春香ちゃんの右手は動かなくなるし、言葉も発せられなくなる。だけど(腫瘍を)少しとらないようにすると、体は動くかもしれないし、言葉も喋れるかもしれないけど、再発して早く死んじゃうかもしれない。(春香さんに)どうする?と聞いた」と、春香さんと主治医が交わした当時の会話を振り返る。
春香さんは「私は生きたいです」と即答。迷うことなく、長く生きる道を選んだ。
“大好きな絵を書けなくても、少しでも長く家族と過ごしたい”
春香さんの迷いなき選択に、父・貴宏さんは胸を打たれた。
手術前日、春香さんのスマホには、家族に向けたメッセージが書かれていた。
「私という自我が死んでしまうかもしれないので、手紙を残すことにしました。パパママ、この世に存在させてくれてありがとう。京香、いつも味方をしてくれてありがとう。心から家族が大好きです。不幸とは幸せだと気付かないこと。敗北を認め大いに楽しむこと。どんなところにも美しいものはある、それこそが運命」
大きな病に冒されながらも、その“不幸”を認め、生活のなかに“幸せ”と“美しさ”を見つけ出し、人生を全力で楽しむことを決意した春香さん。力強いメッセージとともに、その想いを行動へと移していく。
“体は動かなくても人の役に立ちたい”と、今の自分に出来ることを探した春香さん。得意の絵を活かし、教員である父・貴宏さんが顧問を務めるハンドボール部のマスコットキャラクターをデザイン。「バッサークン」と名付けられたキャラクターは、春香さんがパソコンを使って左手だけで描き上げた力作だ。部員たちからも、「坂野先生が大事にしているマークなので、僕たちも大事にしています」、「ハンドボール部のキャラクターってあまりいないので、日頃見て練習しています」などバッサークンに愛着を感じる声が寄せられている。
自分の存在価値を見いだし、成長していく絵本の主人公・×くんのように、自分の出来ることを探していく春香さん。
しかし、病はそんな春香さんの前向きな心さえも、むしばんでいった。
18歳になった頃から、身体機能が低下していった春香さん。歩くことも困難になり、発作的な精神状態の悪化から「死にたい」と口にすることが増えていったという。その言葉は、やがて自傷行為にまで発展。死のうとする春香さんを家族全員で5時間にわたって押さえ続けた日もあったという。
つらい経験は家族にも増えていった。父・貴宏さんは、「階段から飛び降りて死のうとする春香の体を押さえ続けて、5時間くらい経ったあと、春香がトイレに行きたいと言い始めたんですね。ここで手を離すと、そのまま階段から下に転落してしまう可能性もあったので、“今の春香の手を離せないから、ずっと持っている。そこで(おしっこを)してもいいよ”と言ったら、本当にそこでおしっこをしてしまうということがありまして。そのときは、一番父親としてはつらい経験でしたね」と話す。
その様子に、春香さんの2歳上の姉・京香さんもショックを受けた。大の仲良しだった春香さんと京香さん。闘病中もよく二人で出掛け、写真や動画を撮っていた。当時の心境について、「妹に申し訳ないんですけど、“この家から出たい、逃げたい”と思う時はありました。でも、本人(春香さん)が一番辛かったと思う。そういう行動をとってしまうことに、妹自身も混乱していて…」と京香さんは涙を滲ませた。
「死にたい」と叫び続けた春香さん。しかし、少しだけ心身が落ち着き、甘いシュークリームを口にした瞬間、思わず本音がこぼれた。「おいしい…。生きてる価値が見いだせた…」という言葉と同時に、あふれ出す大粒の涙。
“死にたくない、本当は生きたい” それが、春香さんの本当の気持ちだった。春香さんの心の叫びに、何があっても彼女を支えていこうと強く心に誓った家族。父・貴宏さんは、「死にたい、死にたいというなかで、“死にたくない、やっぱり生きたい”という言葉を発していた。本当は生きたいというのが、春香の思いだったんじゃないかな」と娘の心情に想いを寄せた。
“生きたい”という希望を取り戻した春香さん。その頃から、自分の姿を写真や動画で記録することを家族にお願いするようになったという。姉・京香さんは「ずっと眼帯を着けていたり、車椅子だったりという部分はあったんですけど、包み隠さず、妹の意志に沿ってたくさん残そうと思いました」と当時を振り返る。小さい頃から、絵で想いを表現してきた春香さん。娘の行動に母・和歌子さんは、「好きな絵を通して、言葉で言えないことを表現したいと思っていたので、つらい闘病生活を記録に残してほしいと言ったのは、何か伝えたいものがあったんじゃないかな」と語る。
18歳という若さで、人生の幕を閉じた春香さん。大きな病と闘い続けた娘の生き様に、父・貴宏さんは「18年という短い人生だったんだけど、春香にとっては本当に最善を尽くした全力を尽くした人生だった。僕は春香に感謝をして、ありがとうございましたと感謝を述べたいと思います」と真っ直ぐな瞳で語った。
現在、父・貴宏さんと母・和歌子さんは、講演会などを通して、絵本「×くん」に込められたの春香さん意志と想いを広める活動を実施。そこで語られるのは、春香さんの“ありのまま”の闘病生活と主人公・×くんのようなたくましい生き様だ。
絵本「×くん」のラストは、×くんと“ある女の子”の会話で締めくくられている。
周りから否定され続け、「こんなに うとまれて ぼくはいない方がいいのかな」と落ち込む×くん。そんな×くんに、“ある女の子”が「バツは成功のもと。バツくん、ありがとう。」と伝える。初めて聞いた感謝の言葉に「えっ」と驚く×くんだが、感謝の言葉の機に“×をつける仕事”に意味を見いだし、いきいきとした表情で仕事に取り組んでいく×くんの姿と共に物語は幕を閉じている。
母・和歌子さん曰く、「悲しい時には、涙を流している絵を描いたり、元気になってくると、表情豊かな絵を描いていた。やっぱり想いが絵に表れる」と話していた春香さんの絵。絵本には、自分の存在価値を見いだし、嬉しそうな表情を浮かべる“xくん”の姿、xくんに感謝の言葉を伝える“ある女の子”など、登場人物たちの様々な”前向きな姿”が描かれている。脳腫瘍という病を自身の心を成長させる“キッカケ”へと変化させた春香さん。もしかしたら、絵本の登場人物たちの姿や言葉に、自身の姿を重ねていたのかもしれない。
“誰にでも存在価値がある”ように、起こりうる全ての出来事にも意味がある。その出来事に“存在価値”を見いだすことが、“幸せ”へ繋がるキッカケなのかもしれない。