「人を傷つけるだけの人生なんてイヤでした」 闇バイト繰り返した“ルフィ事件”実行役リーダーが法廷で語った後悔【#司法記者の傍聴メモ】
「人のことを傷つけるだけの人生なんて嫌でした」「極刑でないと償えない」
「闇バイト」に応募し躊躇なく強盗に手を染め続けた男が、涙ながらに法廷で語ったのは意外な言葉だった。
全国で相次いだ指示役「ルフィ」らによる一連の強盗事件のうち、6つの事件で起訴された実行役のリーダー格・永田陸人被告(23)の裁判。永田被告が関わった事件では、1人の命が奪われ、脳に障害が残る重傷を負った男性ら計5人がケガをした。
法廷では事件当時のことについて、「お金が欲しかった」「犯罪のことしか考えていなかったので被害者に思いをはせることはなかった」などと振り返った一方、現在の心境については後悔の言葉を述べた永田被告。なぜ「闇バイト」に応募し、犯行を繰り返したのか…、そして、逮捕後に後悔の気持ちが芽生えた理由とは。
■生々しい事件の詳細が…“ルフィ事件” 実行役リーダー格の男の裁判
SNSで「闇バイト」に応募した実行役が指示を受けながら犯行に及ぶ強盗事件が、ことし8月以降関東で相次いでいる。こうした「闇バイト」による強盗事件が問題化するきっかけとなったのが、2022年から2023年にかけて全国で相次いだ指示役「ルフィ」らによる連続強盗事件だ。
この「ルフィグループ」による事件のうち、6つの事件の実行役として、強盗致死や強盗殺人未遂などの罪に問われた永田被告の裁判員裁判が10月18日、東京地裁立川支部で始まった。起訴内容を全て認めた永田被告。5日間にわたって行われた裁判では、生々しい事件の詳細が明らかになった。
2022年11月。石川県内で土木作業員として働いていた、当時21歳の永田被告は金に困っていた。理由は1年ほど前から始めた競艇。賭けに勝った時の成功体験が忘れられず、総額780万円以上をつぎこんだというが、「黒字にするまでやめられない」と考えていた。
給料だけでは足りなくなり、消費者金融だけでなくヤミ金からも借金を重ねたという。それでも「競艇の資金が欲しい」と考えた永田被告は、ツイッター(現X)で「闇バイト」「高収入」と検索。秘匿性の高い通信アプリ「テレグラム」に誘導され、「Kim」と名乗る人物とつながった。のちに強盗や空き巣など様々な“案件”を永田被告に紹介する「ルフィグループ」の指示役だ。ほどなくして「Kim」から最初の“案件”が持ちかけられた。
*指示役「Kim」「神奈川県内で空き巣」「自宅に現金1000万円」
窃盗を軽い罪と考え「中学の時から常習的にやっていた」という永田被告。神奈川県秦野市の住宅に侵入して腕時計など64点・約878万円相当を盗んだのが最初の事件だった。石川県で土木の仕事を続けながら、紹介された“案件”を実行するため全国の犯行場所に出向く生活が始まった。
翌12月には、東京・中野区の一軒家に宅配業者を装って押し入り、住人の男性の顔を殴るなどの暴行を加えて、現金約3200万円を奪い逃走した。永田被告はこの事件から、「Kim」に現場のリーダーを任され、他の実行役から「ヘッド」などと呼ばれるようになっていた。
■“リーダーとしてのメンツがつぶれる” モンキーレンチで後頭部を強打
約2週間後。次に紹介された“案件”の対象は広島市の時計店兼住宅だった。この日は仕事の予定があったが、「Kim」から「遅れてもいいから来て欲しい」と言われ、石川県でギリギリまで仕事をしてから新幹線で広島駅に向かったという。この事件で永田被告は、「Kim」に“ある提案”をしていた。
*永田被告「犯行道具にモンキーレンチを加えて欲しい」
中野の事件で、被害者から激しく抵抗されたため、「モンキーレンチがあればすぐに制圧できる」と考えたという。
広島の現場に向かう実行役6人は「Kim」からの指示を受けた。
*指示役「Kim」「殴ったり蹴ったりしないと報酬はあげません」「(永田被告が)モンキーレンチでじゃんじゃんやってくれます。ただし殺してはいけません。リーダーの指示に従ってください」
実行役6人は、高齢の夫婦と40代の息子3人が住む住宅に押し入った。永田被告が2階にあがると、他の実行役が息子から激しく抵抗され、つかみ合いになっているのが目に入った。自身もそこに加わり、息子の顔を殴ったが、3人がかりでも息子を制圧することができなかった。
“まずい…”
永田被告は自分が加わったのに息子を制圧できない状況に焦った。「頼りにしてる」と言われた“仲間”の前でこの事態をおさめることができなければ、“メンツが潰れる…リーダーとしての立場も潰れてしまう――”
準備していたモンキーレンチを手にとり、息子の後頭部めがけて「フルスイングした」という。息子は頭から出血し、周りには血だまりができた。永田被告は“死んでしまったかもしれない”と感じたというが、その後父親に金庫を開けさせ、現金約250万円や腕時計など137点・約2439万円相当を奪って逃走した。一時意識不明の重体となった息子は、現在も脳に障害が残っていて会話や意思疎通が難しく、24時間介護が必要な状態だという。
この頃、強盗の法定刑を調べたという永田被告。「5年以上」という数字を見て「強盗をしたら懲役5年」だと勘違いし、「どうせパクられる(逮捕される)から何回やっても変わらない。パクられても5年で済む」と感じていたという。また、「息子にとんでもないケガをさせてしまったので、ガラ(身柄)を隠して憧れのKimさんのように遠隔で闇バイトで実行役を集めて、強盗や特殊詐欺をさせる指示役・胴元になりたい」とも考えていたという。
指示役になるにはいわゆる“飛ばし携帯”などを準備しなければならず、競艇の軍資金に加えて金が必要になった永田被告は、さらに犯行を続けた。
年が明けた2023年1月には千葉県大網白里市のリサイクルショップに押し入り、男性店長の顔を殴って頬や鼻の骨を折る、強盗傷害事件を起こした。しかし、金品を奪うことができず報酬を得られなかったため、その日のうちに永田被告は「Kim」に新しい“案件”を紹介するよう迫った。それが狛江事件だった。
■「3、2、1と言ったらバールで殴れ」 90歳女性が20か所以上骨折し死亡
前回の事件から1週間後。再び石川県から上京してきた永田被告は、他の実行役と共に東京・狛江市の住宅近くにとめた車の中にいた。
*指示役「Kim」「落ち着いて、迅速に的確にお願いします」
永田被告はワイヤレスイヤホンで「Kim」と電話をつないだ。そして、宅配業者にふんした他の実行役がインターホンを鳴らして住宅に押し入ると、永田被告らも続いた。
しばらくすると、他の実行役が女性から現金のある場所を聞き出せず、いらだっていた「Kim」から指示がとんできた。
*指示役「Kim」「金のありかをはかない。一発喝入れてきてください」
永田被告は女性のアゴを殴り、他の実行役に「さっさと金のありかをはかせろ」と怒鳴った。「このくらいやれよ」と見せつけるために、他の実行役の目の前で女性を殴ったという。しかし、その後も現金は見つからず、女性から現金の場所を聞き出すこともできなかった。
*指示役「Kim」「(他の実行役は)甘いです。あなたがやった方がいい。あなたがやるのが一番早い」
永田被告は「さっさと金のありかをはけ」と脅しながら、女性の体をサッカーボールのように3~4回蹴った。それでも女性は答えなかった。永田被告は「肝が据わっていて根性がある」と感じたという。
“本気でやろう”
決意を固めた永田被告は、近くにいた他の実行役に「バールもってこい。やれ」と指示。その実行役は長さ約75センチ、重さ約1.2キロのバールの端を持ち、女性に振り下ろした。大きな鈍い音が室内に響き渡った。
バールで殴った実行役から「これ以上やったら死ぬ」と言われたが、永田被告は「弱気な対応をしたらリーダーとしての立場が逆転してしまいメンツがつぶれる」と考え、指示を続けた。
*永田被告「俺がストップと言うまでたたき続けろ」「カウントダウン形式で3、2、1と言ったら殴って」
女性は両手を結束バンドで縛られ、抵抗できない状態で10回ほどバールで殴られ、ろっ骨や胸骨など20か所以上を骨折した。しかし、最後まで現金の場所は話さなかった。疑問を感じた永田被告が「Kim」に女性の顔写真を送ったところ、「Kim」は「あちゃー、人違いですね」と笑いながら答えたという。襲撃する対象は別の家族だった。
永田被告ら実行役4人は、腕時計などを奪い現場から逃走。この日の夜、女性が亡くなったことを知った。当時の心境について、被告人質問でこう振り返った。
*永田被告「もう後戻りできないなと思った。何も悪くないカタギの一般人を殺すのは人間じゃないしクズで、終わったなと思った。人生というより、自分自身が終わったなと」
「犯罪のことしか考えていなかったので、被害者の女性に思いをはせることはなかった」
そして、翌日も犯行を続けた永田被告。しかし、犯行の途中で職務質問されたことをきっかけに、永田被告は逮捕された。
■「人の役に立ちたかった」 中学時代は介護施設でボランティアも
自らの犯行について、はっきりと早口で語り続けた永田被告。しかし、中学時代のことについて質問が及ぶと、様子が一変した。
*弁護士「中学の頃ボランティアをしていましたか」
*永田被告「はい。介護です」
*弁護士「なぜ介護を選んだのですか」
永田被告は目頭に手をあて、涙をこらえるように上を見上げた。そして、大きく深呼吸したあと、声を詰まらせながら続けた。
*永田被告「人の役に立ちたいと思ったからです…」
介護施設で高齢者の話し相手をするボランティアをしたという永田被告。真面目に取り組んでいた時のことを振り返ると、法廷で涙を流した。
永田被告は「将来介護の仕事をしたい」と考えるようになり、高校は介護福祉科に進学。しかし、結局中退してしまった。
■逮捕後に心境の変化…「極刑でないと償えない」
「闇バイト」に応募してから約3か月の間に、6つもの事件を起こした永田被告。逮捕直後は報道陣のカメラの前で中指を立てたり、取り調べで悪態をついたりしたという。
*永田被告「ずっと強盗は懲役5年だと思っていたが、逮捕される時に強盗殺人(逮捕時の罪名)は無期懲役か死刑だと知った。長く刑務所にぶちこまれるなら、死んだ方がましだと思った」
死刑になるためのふるまいだったと説明した。しかし、取り調べを担当した捜査員から「許されないことをしたが人は変われる」と優しい言葉をかけてもらったり、拘置所で被害者遺族に関する本などを読んだりして、考え方が変わったと話した。
*弁護士「被害者やその家族に言いたいことはありますか」
*永田被告「いっぱいあります。正直言葉にならない…本当にごめんなさいとしか言えません」
涙ながらに謝罪の言葉を述べた。
*裁判員「どの時点が一番後悔していますか」
*永田被告「僕は中学1年になって初めて犯罪をした。いまの知識で中学1年からやり直せれば、もっと社会に貢献できる」「人生において分岐点となったのは中学1年の時です。やり直せるなら中学1年からやり直したい。こんな人のことを傷つけるだけの人生なんて嫌でした…」
検察側から無期懲役を求刑された後、最終意見陳述で裁判官らにこう訴えた。
*永田被告「極刑でないと償うことができません」「責任を果たすには死刑がふさわしい」「私のことは一切考えないでください」「被害者の遺族の気持ちだけを踏まえて、極刑をくだしてください」
11月7日、東京地裁立川支部は「犯行態様は拷問ともいうべき、 執拗で極めて残忍なものだ」と指摘。そのうえで「致命的な暴行を自ら行い主導し実行役の中で責任が際立って重いうえ、指示役の指示にただ従っていたわけではなく、他の実行役を指揮し果たした役割は相当大きい」として、永田被告に求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。
(社会部司法クラブ記者・宇野佑一)
【司法記者の傍聴メモ】
法廷で語られる当事者の悲しみや怒り、そして後悔……。傍聴席で書き留めた取材ノートの言葉から裁判の背景にある社会の「いま」を見つめ、よりよい未来への「きっかけ」になる、事件の教訓を伝えます。