「お母さんごめんなさい」介護不安で87歳の母親を殺害 息子(61)が抱えていた生きづらさとは【#司法記者の傍聴メモ】
「明るくて優しいお母さんでした」「夜寝る前に謝っています。『お母さん、ごめんなさい』って」
当時87歳だった最愛の母親を殺害したのは60年間共に暮らしてきた実の息子だった。
将来の介護に不安を抱き犯行に及んだというが、母親は家事を1人でこなし認知症の症状もなかった。
なぜ息子は、母親に手をかけるほど不安を募らせたのか…裁判でその背景が明らかになった。
■60年間共に生活してきた母親と息子に何が…
今月1日、東京地裁で行われた初公判。
ゆっくりとした足取りで法廷に現れたのは渋川勝敏被告(61)。
常にうつむいており、不安におびえているように見えた。
2023年9月、東京・豊島区の自宅アパートで当時87歳だった母親、みやさんの首を絞めて殺害した罪に問われた渋川被告。
裁判長から起訴内容に間違っているところがあるか問われると、「ありません」と小さな声で答えた。
60年間、お互いを思いやりながら共に暮らしてきたという母親と息子…2人の間に何があったのか。
■約30年引きこもりがちに…事件のきっかけはテレビ番組
父親と母親、妹の4人家族の長男として生まれた渋川被告。
定時制高校を中退した後、スーパーマーケットでアルバイトをしていたが、その後は職を転々とした。
33歳ごろからは無職になり、実家に引きこもるような生活をしていたという。
そんな渋川被告を見かねた父親が「なんで働かないんだ」と怒鳴ることもあったが、母親は「大丈夫だから」と慰めるなど、渋川被告のことをあたたかく見守ってきたという。
妹は結婚をしてから地方で暮らしていて、2005年に父親が亡くなってから渋川被告と母親の2人暮らしが始まった。
母親の年金と渋川被告の生活保護で生計を立て、2人で穏やかな時間を過ごしてきたという。
そんな中、渋川被告が犯行に及ぶきっかけとなる出来事があった。
事件の約1年前、あるテレビ番組を目にしたのだ。それは介護に関する番組だった。
“こんなことできない…”
母親を病院に連れて行ったり着替えさせたり、ましてや自分には食事も作れない。
番組を見たことをきっかけに、将来母親に介護が必要になった時のことを考え、不安を募らせたという。
ただ、母親には年に何回かめまいを起こす持病があったものの、認知症の症状はなく、家事や通院など身のまわりのことは1人で行っていた。
渋川被告の食事を作っていたのも母親だった。
それでも、渋川被告の不安は日に日に増していった。
■“介護ができないとお母さんが…”不安を募らせた渋川被告は
十分に眠れなくなり、いままで当たり前にできていた掃除や買い物ができなくなるほど精神的に落ち込んでいった渋川被告。
生活保護のケースワーカーに「最近眠れない」と相談したところ、精神科クリニックを紹介された。
事件の2週間ほど前に2回受診したという。
*渋川被告の相談内容(捜査報告書より)「将来の母の介護が心配でほとんど眠れない。このまま自分は生きていていいのか」「不安でしょうがない。母の介護と自分の今後が恐怖」
診察で自身が抱える不安について打ち明けた渋川被告はうつ病と診断された。
抗うつ剤と睡眠薬を処方されたが、症状は改善しなかったという。
そして、事件当日の9月8日。
普段通りに起床した渋川被告は、朝食に母親が焼いたソーセージとゼリーを食べたという。
すると午前11時前、母親が突然「めまいがする」と言って椅子に座りこんだ。
その様子を見ていた渋川被告に強烈な不安が襲ってきた。
“自分には介護はできない。介護ができないとお母さんがかわいそうだ。お母さんを殺して自分も死のう”
パニックになったという渋川被告。
めまいが落ち着き台所に移動した母親に、背後から近づき首を絞めようとした。
「殺さないでくれ。やめろ」。母親は自宅の中を逃げ回り必死に抵抗したが、渋川被告が追いかけ母親の首を両手で絞め続けた。
しばらくすると、母親は動かなくなったという。
“まだ苦しんでいるかもしれない…最後までやろう”
こう考えた渋川被告はさらに、母親の首に電気コードを巻いて締め付けた――。
渋川被告はその後、自殺しようと考えたが、結局怖くてできなかったという。
どうすればいいのかわからなくなった渋川被告は自ら110番通報。
母親は搬送先の病院で死亡が確認された。
■精神鑑定医が出廷「IQ70で境界知能」
なぜ渋川被告は介護の必要がなかった母親の将来について、これほどまでに不安を感じたのか。
裁判では、逮捕後に渋川被告の精神鑑定を行った医師が証人として出廷した。
鑑定医は渋川被告について「犯行当時うつ病だった」としたうえで、「IQ(知能指数)が70で“境界知能”にあたる」と話した。
境界知能とは、IQの数値が平均と知的障害とされる数値の狭間にある状態のこと。
知的障害とは診断されず、境界知能に特化した公的な支援はないため、見過ごされやすいという。
鑑定医によると、一般的にIQが69以下だと知的障害と診断されるといい、IQ70とされた渋川被告の知能はまさに“境界”そのものだった。
実際に渋川被告は被告人質問で「小中学校の時の成績は5段階中ほとんどが1」「高校を中退した理由は勉強についていけなかったから」と話していた。
渋川被告は事件を起こすまで検査を受けたことはなく、自身が境界知能であるとは知らなかった。
鑑定医は犯行に至った経緯ついて「抑うつ状態で母親の将来の介護について過剰かつ病的に不安を感じ心理的に視野が狭くなっていた。境界知能で解決策を考えることも困難だった」と分析。さらに、「公的にサポートするサービスがないので生きづらさはあると思う」と話した。
■「夜寝る前に『お母さんごめんなさい』と…」渋川被告が語った後悔
事件を防ぐことはできなかったのだろうか。
渋川被告は自身が抱える不安について、母親や妹、役所にも相談していなかったという。
被告人質問では相談しなかった理由について質問が相次いだ。
*裁判長「今後どうやって将来の生活をしていくか母親と話していなかった?」
*渋川被告「してないです」
*裁判長「介護のことが気になったんですよね。母親に聞いてみようとは思わなかった?」
*渋川被告「思わなかったです」
*裁判長「聞けない理由は何かあるの?」
*渋川被告「なかったです」
母親に相談しなかった理由について明確な答えを話すことはなかった。
また、妹には「地方にいるので来られないと思った」から相談しなかったといい、役所への相談は「思いつかなかった」と述べた。
*渋川被告「いま思えば福祉に相談しておけば良かったです」
誰にも相談しなかったことを悔やんだ。
母親のことを「明るくて優しい」と話し、誕生日にカーディガンをプレゼントしたこともあったという渋川被告。
*渋川被告「母にこんなひどいことをして申し訳ないと思っています」「夜寝る前に謝っています。『お母さん、ごめんなさい』って」「母への謝罪を続けていきます」
境界知能だったうえに犯行当時うつ病を発症していたという渋川被告。
裁判所はどんな判断を下したのか。
東京地裁は今月11日の判決で「母親は抵抗していたにもかかわらず、実の息子に突如命を奪われたのであり、その無念さは計り知れない」と述べた。
そのうえで、「親の将来の介護に対する不安は 誰もが持ち得るもので、本来は自ら対処すべきであったが、渋川被告は境界知能であって介護について合理的に考えることが難しかった」と指摘。
「当時はうつ病と境界知能の影響が相まって心神耗弱の状態にあった」として、渋川被告に懲役3年の実刑判決を言い渡した。
判決を言い終えた裁判長は「重要なのはその後の長い人生です」「周りの人の助けを借りながら生活していって、お母さんのことを忘れないようにして一生かけて罪を償って欲しい」と渋川被告に語りかけた。
(社会部司法クラブ記者・宇野佑一)
【司法記者の傍聴メモ】
法廷で語られる当事者の悲しみや怒り、そして後悔……。傍聴席で書き留めた取材ノートの言葉から裁判の背景にある社会の「いま」を見つめ、よりよい未来への「きっかけ」になる、事件の教訓を伝えます。