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「東京モノレール」巨大ジオラマが四半世紀の歴史に幕 長年管理していた社員が語るモノレールへの思いとは…【藤田大介の鉄道NEWS】

2024年2月9日 21:34
「東京モノレール」巨大ジオラマが四半世紀の歴史に幕 長年管理していた社員が語るモノレールへの思いとは…【藤田大介の鉄道NEWS】

今からおよそ25年前の1999年12月。

当時建てられたばかりの羽田空港ターミナルビルの地下に乗りいれた東京モノレール。「多くの旅行客に利用してもらいたい」という思いで、当時、終着駅だったこの駅の改札口横に巨大なジオラマが設置されました。

東京の名所が詰め込まれた羽田空港から浜松町までの沿線風景の中を、Nゲージサイズのモノレール車両が駆け抜け、訪れた人々を魅了していました。

設置から25年。

羽田空港第1ビルの耐震補強などに伴うリニューアル工事のため、この度四半世紀の歴史に幕を下ろすことになりました。

長年管理をしていたのは、東京モノレールの社員・山浦さん。乗ることも写真を撮ることも、そして模型を作ることも心から愛する山浦さんに、撤去最終日お話を聞きました。(聞き手:日本テレビアナウンサー・藤田大介)

東京モノレール・営業部主査 山浦勝弘さん
「大きさは大体5mと3mぐらいのL字形で、浜松町から現在のこの羽田空港第1ターミナル駅までをかなり忠実に作られていて、当時はこのポイントも転換するようになっていて、電動で動いていましたので列車が入ってくると転換をして、また羽田方面に走っていくという形で動いていました 」

「やはり動いてる頃は、お子様が一番最初に駆け寄ってきて、その後にお連れ様、お父様お母様がじっくり見られていたというのが印象的でした」

「当時はお客様がボタンを押すことによって列車が動き出して、途中ですれ違いをして、各々の駅に戻るというようなシステムが構築されていて、動く模型が駅にあるというのがあまりなかったと思います。かなり人気は高くてお客様もかなり見に来られた方が多かったですね 」

「電動で動いていたのでちょっと故障してしまって止まってしまった時には、係員が来て、整備をして、またお客様に動かしていただくという形で運営をしていました」

―どういう経緯で山浦さんがメンテナンスをするようになったんですか?

東京モノレール・山浦さん
「元々僕は模型を作ることが好きで、鉄道模型ですとか車の模型とかも好きなんですけれども、それで社員の中で誰かメンテナンスができる人がいないか?ということで、白羽の矢が立ったといいますか…」

「いつ止まるかわからないというのがありますので、まだ動いていた当時は頻繁に巡回をして、動いているかどうかを確認したりとかはしていました」

―鉄道模型好きということで、天職ですね

東京モノレール・山浦さん
「モノレールも好きですし、一般鉄道も好きですけれども、あとはその作ることが好きなので、やはり自分には打って付けの役だったのかなと思います。そのいわゆる動くもの(モノレール)というのは今の段階では市販されてもいませんので、かなり構造的にも複雑でシビアなものではありました」

「他の人がいじれないものをいじれたというのは、今となっては非常にありがたい事だったんだなと思います」

―もう電気配線も違うわけですよね

東京モノレール・山浦さん
「そうですね。この模型っていうのは、実際と同じで軌道桁の山側と海側に電車線、プラスとマイナスの線を合わせて集電しているというタイプで、もうかなり細かいというか、電気がうまく流れないと途中でショートしてしまったりとかっていうのがありまして、その辺はかなり難しかったですね 」

「動かさなきゃいけないというちょっと使命感っていうのもありますけど、あとはこの模型をいじれるという、なんか嬉しさというか、そういうのがありました」

「模型はもうそのまま動かすというのが一番の目的なのでそこはそのままにしておきまして、車両を手を加えて例えばライトをつくようにしたりとか、改造したりとか当時しましたね」

―ライトをつける?街を模型をいじるのではなく車両をいじったのはなぜですか?

東京モノレール・山浦さん
「やはり、車両好きというか、動いているモノレールがやっぱりライトをついて走るというのは大人でも子供でも多分感動するのではないかなと思いまして。 やはり走っているときにライトがつくように改造してみました」

「ちょうどリニューアルをするときに、何か新しいことをやろうというふうに考えまして、モノレールだけではなくて沿線で何かできることがないかというふうに考えたときに、自分の好きな刑事ドラマのワンシーンを再現することによって、お客様が来ていただけるのではないかというふうに考えていたんです」

「当社の沿線っていうのは、当時、かなりロケで使っていたので、そういう縁というか、そういうのもありましたので、ここにそういうミニカーを置くことによって、また当時を思い出していただける方がいたりですとか、興味を持っていただけるんではないかなということで展示をしておりました」

「その展示を始めた約2ヶ月後ぐらいですけれども俳優の渡哲也さんが亡くなりまして、かなりのお客様がいらっしゃって写真を撮っていって行かれたりですとか、SNSに上げていただいたりとかいうことで、またここでそのモノレールの『模型広場』というのがまた認識されるようになったという時期がございました」

―鉄道が新車両に変わるたびにどんどんリニューアルされたことっていうのはありました?

東京モノレール・山浦さん
「模型広場がオープンしたときに、浜松町駅のところには当時ですと205系ですとか185系ですとか、東海道線で113系ですとかが置かれていたんですね。山手線、京浜東北線、あと東海道線と新幹線もありましたので、ここには185系113系、あと新幹線もまだ当時は100系が置いてありました。そのままには置いてあったんですけれども古くなってしまいまして途中で車両を入れ替えて、リニューアルは、鉄道車両の方も行いました」

「私と、駅でメンテナンスをしていた仲間がいましたので、2人で相談をして、いろんな車両を私物で持ち込んで」

―えっ。私物の車両を?

東京モノレール・山浦さん
「はい。そうですね。いろいろお客様も見てらっしゃるので、ちゃんとした物を置かないと。東海道線は、E231系。新幹線は700系、山手線はE231の500番台とかですね」

―これが浜松町駅ですね。細かいですね

東京モノレール・山浦さん
「お客様も再現されていますし、自動販売機ですとか、ホームドアも設置しています」

―ホームドアって最初からついていたんですか?

「いえ。こちらの模型ができたときにはまだホームドアが採用されていませんでしたので、こちらは後から私が改造してつけました。ちょっとドアの部分だけ、 低くなっていて、実際と同じような形になっています。この辺りは自分で加工しましたね。やはり見てくださる方が『あれっ』てなるといけませんので 」

―浜松町駅全体が改良工事になりまして、大きく様変わりしそうですね

「もうこの姿も見られなくなってしまう時期が来ているのかなと思いますけれども。駅舎に関しては、昭和39年に建てられた建物のままです 」

「今は『耐震補強工事』も金属の枠を取り付けて、強度を増すような工事をしています。これは最初に、この模型を作った方が、ここまでこだわられていたので、私もこだわらないとな、いうところがあります」

―作業はいつ行ったのですか?

東京モノレール・山浦さん
「仕事が終わった後にやったこともありましたけれども、あとは自分で家にいる時間で作業をしていました」

「大変なこともたくさんあったのですけれども、でもやはりこの模型をいじれたっていうことが、やはり楽しかったですね。自分が作ったものに対して、お客様が気づいてくれたり、喜んでくれたりっていうお話を聞くと、本当に嬉しかったです」


東京モノレール・山浦さん
「いつかはなくなってしまうのでは…というのはいつも思ってはいたのですけれども、二十数年にわたってこちらを管理させていただいて、この『模型広場』がなくなってしまうのは非常に残念なのですけれども、やはりたくさんの方々に見ていただいて、当社の看板施設として一時代を築いたということで、皆様の心の中に留めていただければ、この『模型広場』としての使命はそれでうまく完結できるのではないかなと思っています」

「一旦保管はいたしますけれども、すぐに出せるようにはしておこうかなと思っています。いつでも声がかかってもいいように準備はしておこうかなとは思っています」

―これ羽田空港第1ターミナルのどこかに?

「もし展示ができればというふうに考えています 。どのようなものを設置したらいいのかなとか、 お客様に見ていただければいいなというのは、ちょっと少しずつ考え始めています」

―本当に四半世紀、長きにわたり本当にレイアウトを通じて楽しませてくださり、ありがとうございました。