「渡豪した戦争花嫁」息子夫婦が故郷の呉へ
太平洋戦争とその後の歴史に翻弄された、広島県出身の女性とオーストラリア軍人にまつわる物語です。海を越えた2人の絆が打ち破ったのは、国家の威信と理不尽な政策でした。呉市の海岸沿いにある公園を訪ねた一組の夫婦。オーストラリア人のロバート・パーカーさんと、アンさんです。腰掛けたのは、「恋虹」と名付けられたベンチ。2023年3月に設けられました。
■ロバートさん
「ここに特別なベンチを設置するために協力してくれてありがとう。私たち家族にとって日本は特別な場所なんです」
ロバートさんの母親のチェリー・パーカーさんは、94歳。呉市出身で、日本名は桜元信子です。呉空襲・キノコ雲1945年、呉への空襲で焼け出され、避難した広島市で被爆。身寄りを失います。ゴードンさんと出会う呉にあった占領軍のキャンプで働きは始めたのは、16歳の時。そこで出会ったのが、オーストラリア兵のゴードンさんでした。
■桜元信子さん※1995年
「初めてゴードンに会ったとき話ができないくらい震えそうに恐く思いました。」
程なくして恋に落ちた2人。しかしオーストラリアの国是「白豪主義」が、行く手を遮ります。有色人種を排除する政策で、日本人との結婚はおろか、入国さえも制限していました。任期を終えたゴードンさんは帰国。その後、結婚式を挙げるため、民間人として再び呉を訪れます。その後も、家族や友人の助けを得ながらオーストラリア政府に働きかけ、ようやく信子さんの入国が認められたのは1952年。オーストラリアへの「戦争花嫁第1号」としての渡航でした。
■桜元信子さん
「不安でした。スローでしょ。船が出るのって。甲板の上でこうみんなと別れるの、これが一番私が終わりに見る日本だと思ってた」
それから70年余り。ゴードンさんは2010年になくなりましたが、8人の子どもに孫やひ孫・玄孫も加わり、ファミリーは今や76人です。そして10月9日。4番目の子ども、ロバートさんと妻のアンさんが、母親のふるさと・呉を初めて訪れました。
■ロバートさん
「母が育った場所を見たい。できるだけいろんなところを」
最初に訪ねたのは、「大和ミュージアム」。戦後間もない頃の呉の説明に、耳を傾けます。
■大和ミュージアム
「あなたのお父さんはここで働いていた。お母さんはハウスキーパーとして職を得た」
次に訪ねたのは、呉市内の教会。一家にとって大切な書類が保管されています。
■呉信愛教会司祭 松本正俊さん
「結婚簿です。こちらがお母さん、桜元信子さん。パーカーさんがこちら」
この教会の前身、「聖ペテロ教会」で挙式したのは、1950年。両親が残した結婚の証しです。
■ロバートさん夫妻
「母はもともと日本での話をあまりしてくれなかった。オーストラリアに来るまで大変な人生だったから。でも後になって話してくれた中に結婚式の時の話もあった。きょうここに来られてよかった。ロバートとここに来られて本当に良かった。」
ロバート夫妻そして、ロバートさん夫妻がどうしても訪ねたかった場所が、呉市広にありました。両親が度々訪れていた長浜公園。戦後50年の記念行事に招かれた2人が歩いた、思い出の地です。海を越えた2人の物語を、後世に伝えたい。そんな思いを抱いた地元の人たちが設置した1脚のベンチ。目の前には瀬戸内海、そのはるか先はオーストラリアです。
■ロバートさん
「この恋虹ベンチがこれからの希望となり、私たちの住んでいる場所で二度と戦争が起こらないことを願います」
母親の故郷の人たちとの交流を深めた、異国での1日。国家の壁を乗り越え、信子さんとゴードンさんが紡いだ絆は、これからも子から孫へと引き継がれるはずです。
【2023年10月12日 放送】