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富山産業大博覧会から70年 富山市の住宅から新資料発見

2024年5月27日 19:25
富山産業大博覧会から70年 富山市の住宅から新資料発見

戦国時代から城が築かれていた富山市の城址公園。現在の富山城は今から70年前に建てられたもので、真っ白な壁と瓦ぶきの屋根が美しい天守閣は、富山市のシンボル的存在です。この「お城」の完成にまつわる新しい資料が見つかりました。

富山市の中心部に立つ「富山城天守閣」。国の登録有形文化財(2004年)です。この天守閣、江戸時代のものではありません。鉄筋コンクリート造4階建ての「お城」は、いまから70年前の1954年、戦災からの復興を記念した「富山産業大博覧会」のシンボルとして建てられました。

現在は富山市郷土博物館となっていて、ちょうど今、この博覧会をテーマにした企画展が開かれています。この中に今回、初めて展示された資料があります。

2022年2月、富山市内の住宅から「富山産業大博覧会」開催に向けた、計画・準備段階の資料が見つかりました。なかには「極秘」と書かれた書類も。

資料は「富山市郷土博物館」に預けられました。調査した学芸員・浦畑奈津子さんです。

富山市郷土博物館 浦畑奈津子学芸員
「今回の資料の中から、準備段階で博覧会で今まで知られていなかったことも記されていることが分かりました」

その一つが名称。

博覧会の名称を公募する前、関係者の間では「電気興国大博覧会」という仮の名称で呼ばれていたことが分かりました。

富山県の電気の導入は全国でも3番目の早さであり、水力発電がさかんでした。豊富な電力を誇る「電力県」の富山、として全国にアピールする狙いがあったと考えられます。

正式名称は公募の結果「富山産業大博覧会」になりましたが、「電源の富山」、「農業と電気」など「電力」や「電気」を中心にした産業をを全面的にアピールした展示内容でした。

富山博は大評判となり、目玉施設の「富山城」は入場制限が必要なほど。総入場者は70万人を超えました。

成功の背景には念入りな準備があったことも、今回見つかった資料から分かりました。富山博開催の2年前には・富山市の過去の天気の調査・ほかの博覧会の会場や日程・入場料の設定など詳細な基礎調査が行われたことが具体的に記されていたのです。

これらは、竹嶋敬一さんが保管していた資料です。

富山市郷土博物館 浦畑奈津子学芸員
「竹嶋敬一さんは、富山産業大博覧会の事務局として実際の準備に関わられたということです。ただ、それだけではなくてこの方は、戦前の富山で、今の県庁から電気ビル前までを会場にして行われた【日満博覧会】の際、富山市の商工課長として業務に係られた方です。それで、富山博開催にあたって準備をするときに経験者の人がスタッフにいたほうがよいだろうという声が上がりまして、そこで竹嶋さんに声がかかり準備に係られたということです」

【昭和29年5月10日北日本新聞 竹嶋敬一さんが寄稿】
竹嶋敬一
「今回は、電気関係の諸館もよくできており、郷土の歩み館やお城など、なかなかみばえのするものが多い。観客が相当に多いのは一般大衆がこの博覧会に関心をもっている故であろう」

「富山産業大博覧会」は大成功をおさめました。

富山市郷土博物館 浦畑奈津子学芸員学芸員
「富山産業大博覧会は、当時地方で開催された博覧会の中でも、入場者数が多くて大成功だったんですね。こちらの資料の中では、会場をどこにしたら一番お客さんが来やすいとか、どういった趣旨にしたら、これからの富山に役立つかということがすごく検討されているんです。博覧会では富山の立地とかどういう点が優れているかということも産業面でも紹介されていたんですが、それが実りまして、その後の工場誘致につながったということがあります」

この富山博は、戦後復興が終わり発展へと変わる転換点になったという意味で、富山の歴史にとって重要なポイントになったといえるのではないでしょうか。

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