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老いを笑って支える 射水市の介護施設の現場から

2025年2月13日 19:27
老いを笑って支える 射水市の介護施設の現場から

介護業界では2025年問題が深刻となっています。2025年の今年、いわゆる団塊の世代が全員75歳以上となる見込みで、介護職員の不足や認知症の問題など、様々な課題が浮上しています。

そうした中、エブリイでこれまでにもお伝えしてきた射水市の介護施設では、老いを笑って支えることを大切にする介護が実践されています。

おじいちゃんを演じて23年 笑いでお年寄り支える施設長


認知症のおじいちゃんを演じて23年。

おじいちゃん「はい、おじいちゃん出来ました」嫁「ど、どこ行ったがけ?おじいちゃんおじいちゃん」息子「おじいちゃーん」嫁「おじいちゃん!」おじいちゃん「え?」嫁「帰ってきてください、朝ごはんですよ」

介護職員がメンバーの劇団です。

おじいちゃん「これやちゃ、これこれこれこれ。この中に小銭をチャリーン、この中にお札をサラー。買い物行く時、こう被って…控え、控え、控えおろう!」全員「は、はあ(頭を下げる)」おじいちゃん「あー気持ちいい、あー気持ちいいね」

おじいちゃん役を演じる松浦佳紀さん。「おはようございます、朝からおはようございます」介護施設の施設長です。

松浦さん「伊藤さん100歳までおらんなんもん」利用者「大丈夫です ありがとうございます」利用者「弱った(困った)もんや」松浦さん「ここにおったらみんな100歳まで。決まり事、ごめんね」利用者「あははは」

射水市の介護施設「大江苑」。平均年齢80歳の地域のお年寄りが150人ほど利用しています。

利用者「ここにいるということは幸せですよ」利用者「おしゃべりしとるが好きなが」

日帰り利用の「デイサービス」、短期間介護を受けながら滞在する「ショートステイ」のほか、長期間入居する「特別養護老人ホーム」があります。

自分ひとりでは食事や入浴、排せつが難しい人や、認知症のある人も多くいます。

松浦さん「どうしてこういう施設があるかといったら、その人が家で看ていた時どうなってしまうかと考えたら、介護者の方が倒れてしまうということがあるんですよ。『寄り添ってあげて下さいよ』と いう話はね、ケアマネージャー時代に何回も 家族に話して、それでも『認知症の接し方が分からない』 という問い合わせで作ったのが、爆笑劇団」

嫁「あら~何やらきょう、たくさん人集まってはるね」おじいちゃん「分からんがか?」嫁「なん、分からん」おじいちゃん「成人式やねか」嫁「成人式?」おじいちゃん「うん、この人たちの顔を見て『あ、きょう成人式か』思って」嫁「成人式!」おじいちゃん「おお」嫁「はーん」会場の人たち「笑い」

松浦さんは、介護には笑顔が大切だと考えていて、そんな姿が利用者や地域の人たちにも愛されています。

幼いころから祖母の影響を大きく受けて育ちました。

松浦さん「親父も仕事人間でしたし、母親も会社務めておりましたんで、ばあちゃんとおる時間がすごく 長かったですね。心の支え、いつも味方であった」

どんなにやんちゃなことをしても、すべてを受け入れてくれたおばあちゃん。介護に興味を持ったのも、おばあちゃんがきっかけでした。

松浦さん「その当時、痴ほう症老人というドキュメント番組がありまして。この痴ほう症(認知症)というのは何だろう、というのが興味を持ったきっかけというか」

介護を学ぼうと、長野県の大学へ進学します。しかし在学中に、おばあちゃんは突然倒れ、亡くなりました。

直接、恩返しができなくなりましたが、卒業後ふるさとへ戻り、介護職に就きました。

働き始めて間もない頃、看護師にかけられた忘れられない言葉があります。

松浦さん「『あなたがいつも食事介助していらっしゃる〇〇さんは、あまりご飯を食べない人なんだ』と。『でも、あなたが介助するようになったら毎日、全量食べてるよ』と。『何であの人が介助したら全量食べるようになったのか、私見ていたら、あなた必ず食事の前にお話して笑わせてるよね』と」

大好きなおばあちゃんに接するように、みんなを自然と笑わせていました。そして、最期の時まで笑顔で過ごせるようにしたいと考えるようになりました。

「ここは家なんです」入所者と向き合う


♪越中おわら節「おわら節 大好きやったもんやから」

人生の最期を介護施設で迎える人もいます。ここで4年間暮らした98歳の黒川輝子さんもそのひとりです。

娘の黒川佐知子さん「(壁の家族写真を指し)家族の、いっぱい、家じゅう集まったらすごい人数。本当は私が最期まで(自宅で)看てあげるのがいちばんやというか、何か心苦しい、そういう気持ちはあったがです。 でも、毎月毎月(家族宛てに) こんな写真入れて下さって」

新型コロナウイルス感染症が拡大してから、介護の現場では外出することも、人と触れ合うことも厳しく制限されました。

松浦さん「だって、本当はね来たいがやけどもコロナで来れない、というのはそんな辛いことはないから、せめて写真でもいいから」

大好きな民謡と家族の声を聞きながら、翌日、輝子さんは息を引き取りました。

佐知子さん「こういう施設でみんなに見守られて、ばあちゃんも幸せやった」

この施設には、認知症の人も多くいます。

(車いすを叩く音)トントントン 楠啓子さん「お母ちゃま早く来てください、来て荷物を運ぶのを手伝ってください、お願いします」「荷物は誰に送る荷物ですか」楠啓子さん「私がここから、富山の勤務から石川県へ変わったんで」

楠啓子さん。石川県で小学校の教頭を務めていました。

楠さん「たくさんの子どもがおってうれしい。これでまた定年退職までいくつもりです」

今も、亡くなった夫を待ち続けています。

松浦さん「ご家族さんはどうしてもね、昔と、認知症になったというギャップが受け入れられないというのが家族なんです。思い出がいっぱいありますからね。ここにいらっしゃる皆さんは、家族を守って社会に 貢献して、一生懸命人生を生きてきた方々なんです。ここに来られたということは、私は、人生の最終ステージに立っていらっしゃるというふうに思っています。いかにして笑顔が多くて、ここに来てよかった、いい人生やった、そういう時間を皆さんに過ごしてもらいたい」

2025年問題。今年、国民のおよそ5人に1人が75歳以上となり、十分なケアを受けられない“介護難民”が増えると懸念されています。

松浦さん「自分ももしかしたら認知症になるかもしれない。そのときにどんな接し方をして もらいたいか。ここは老人ホームですけど、生活の場といわれております。生活の場所という事は、ここは家なんですよと。ここは大きな家族なんです」

(談笑する人たち)老いてなお笑いの絶えない人生とは。そのヒントが、介護施設で見つけた笑顔にありました。

最終更新日:2025年2月13日 19:27
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