津波が襲来した珠洲市で犠牲者ゼロの地区 住民の命を守った”合言葉”
元日の地震で津波が襲来した珠洲市に住民たちの事前の備えによって犠牲者ゼロだった地区があります。
住民の命を守った合言葉がありました。
珠洲市三崎町寺家の下出地区。
海と斜面の間の狭いエリアに住宅が建ち並び震災前に、は32世帯およそ80人が住んでいました。
元日、この地区を強い揺れと津波が襲いました。
NNN取材団・小井土夏音 記者:
「珠洲市寺家の下出地区では地震発生直後、津波が私の身長よりも高い岸壁を乗り越え、民家までおよんだということです」
珠洲市の沿岸部では、震度6強の激しい揺れによって住宅が倒壊した後に津波が押し寄せました。
住民によると激しい揺れからおよそ10分後に到達した津波が、家財道具や車を押し流しました。珠洲市では、これまでに(12日時点)103人の死亡が確認されています。
こうした中、下出地区では住民全員が無事避難し犠牲者は出ていません。
実は、住民たちの事前の備えが命を守ることにつながったとみられています。
下出地区の区長・出村正廣さんは普段から住民同士がかけあっていたある言葉が命を守ったといいます。
出村正廣さん:
「『なにかあったら集会所』とほかの人と集まった時に声が出たのでそれが一番いいなって」
「家がつぶれたりした時でもこことか、なにかあった時はここ」
東日本大震災の後、下出地区では自主防災組織を作り年に1~2回、津波に備えた避難訓練を行ってきました。
その時の合言葉が『なにかあったら集会所』でした。この言葉が地区の1人1人に浸透していたのです。
珠洲市のハザードマップによると下出地区には最大13.5メートルの津波が想定されていて集会所はおよそ23メートルです。集会所に身を寄せる女性は、避難訓練の成果と話します
新田久江さん:
「地震とかなんでもあったらここだと決めとるから」
「誘わないけれど皆来ていた訓練が効いとる」
さらに、出村さんが案内してくれたのが集会所に向かう避難用の階段です。この階段が高齢者が少なくない住民のスムーズな避難に大きな役割を果たしました。非常用のこの階段は、東日本大震災の後、津波からの避難に必要だという住民の声をきっかけに斜面を工事して設置されました。
出村さん:
「99段」
「(上がるのは)意外と簡単ですよ」
「俺のうちからここまでだいたい1分半で来ることができる」
このほか、車で逃げる場合は「集会所に向かって一方通行」と決めていました。あの日も渋滞や混乱はなかったといいます。また、足が不自由な住民は近所の人が担いだり、支えたりして坂道や階段を駆け上がりました。住民同士の協力もあり、およそ5分で避難が完了したといいます。日ごろの準備の成果が出た今回の避難、その中でも、一番大切だと話すのが…
出村さん:
「常にいろんな話をして集まっているからコミュニケーションを取れているから」
「みんな知っていると思う」
「訓練そのものよりも普段の会話の中でそういう話が出てくるのが一番だと思う」
下出地区では集会所で老人会やカラオケ大会を開催することで、地域のコミュニケーションを図るだけではなく、住民の足が気軽に集会所に向かう環境をつくってきたといいます。
『なにかあったら集会所』災害から命を守る取り組みはそんな素朴な言葉から始まるのかもしれません。