がれきの下から出てきた車のエンジンがかかった! 「よう生きとったね…ありがとう」
あの地震から1か月半となる今月15日。
私たちが取材に向かったのは能登町の海沿いに位置する鵜川地区です。
まちなかには、倒壊して手付かずのままの建物も目につきます。
重機を使って崩れた建物の下敷きになった車を取り出す作業が進められていました。
その様子を見つめるのは石田正榮さん (88)。
車の所有者です。
「車といえども生きとるからね、一緒に動いた仲間やさかい、何とかして助けたいなと思ってね」
石田さんは若い頃から車が好き。
そうしたこともあり地元でタクシーの運転をなりわいにしてきました。
また、この地域をよりよくしたいと、防犯活動などにも長年携わってきました。
元日は自宅で過ごしていて幸い、けがはありませんでしたが、車を止めていた建物は崩れてしまいました。
「車はダメやな、あー」
「うそ!エンジンかかった?」
「上等やがいや!」
「よう生きとったね」
「ありがとうな」
「方向指示器よし」
「うれしそうな声しとる」
「よかったよかった」
「お金いらんて言うボランティアで」
車を取り出してくれたのは熊本から来た災害ボランティアでした。
「熊本地震の時もボランティアの方がたくさん来てもらって」
「いやいや恩返しですよ熊本地震の」
「車出た?良かったね」
「大事に乗っとったもんね」
「良かったですバンザーイ」
「じゃあね、石田さん」
石田さん:
「ここらにおったら通る人全部あいさつしていくでしょう。みんな家族やがいね…だから安心しておられるし、おい、どうやと声かけてくれるしなかなかいい町です」
日の出大敷・中田洋助 代表取締役:
「能登町は1次産業が盛んな地域で定置網漁とイカ釣りが主流で定置網は歴史長いです。江戸時代からやってるんで、ここ(鵜川)は」
地元で定置網漁を手掛ける会社の代表 中田洋助さん。
先代から代表の座を譲り受けた矢先に今回の地震が起こりました。
港は大きな被害を受けましたが、金沢や氷見の港から氷をもらうなど、支援を受けながらすでに漁を再開させています。
中田さん:
「かなり重点的にやられた地区だったので早くやることによって少しでも希望の光じゃないですけどそういうのになれればいいなと思って」
地震で変わり果てた鵜川の町。
その様子に心を痛めている女の子がいました。
「本当に初めてこうやって地域を見た時は言葉が出ないというか」
高校2年生の加藤美孝さんです。
この町の好きなところについて教えてくれました。
毎年夏、この鵜川地区で行われている「にわか祭」
ことしは地震の影響で開けそうにありません。
「できる感じではないんだろうなっていう気はしてるんですけど、できたら少しでも小さい規模とかでも見れたらいいかな。見れたらいいなと思っていたりします」
美孝さん、地震をきっかけに変わったことがあるといいます。
「この地震があってからもっと景色撮るようになりました」
改めて、この町の魅力に気づきました。
そして、お気に入りの場所を案内してくれました。
(Qよくここまで来るの?)
「一人になりたいなと思ったりした時はここに来て」
「カモメがうるさいと思うんですけどこうやって見られるのが一番かなって」
「立山、ちょうど直線で見えるので」
これからもこの町で暮らしたいと願っています。
「何か気のせいかいつもあまり見られないような奥の方まで見えている気がするので、きょう、いい日なんじゃないかなって思っています」