高齢者や妊婦、障がい者のための「福祉避難所」14年経つ今も残る課題【東日本大震災】#知り続ける
東日本大震災では県内152か所開設され、2299人が身を寄せた福祉避難所ですが、いまも多くの課題が残っています。
東日本大震災から1週間後、石巻市に設置された福祉避難所の映像です。
2011年当時の映像
「具合悪くされるのも困りますし、職員一同目配り気配りで24時間体制でやっています。みんな精神的にきていますのでそれが心配」
震災当時、仙台市内の福祉避難所に携わった鈴木さんです。
振り返ると、様々な課題があったと話します。
鈴木成貴 所長
「食べ物に関しては物資としてすぐに届けていただいたり、十分に数はそろっていたのですが避難された方の多くはやはり摂食、嚥下に難しさを抱える方がほとんどでしたので、実際そのままの形状では食べるのが難しかったということがあった」
食料が届いても、特別な調理をしなければ食べられない人もいる実情。
また、一般的な避難所と比べてボランティアスタッフが集まりにくいほか、ベッドが足りず、介護が必要な人たちが床での睡眠を余儀なくされました。
鈴木成貴 所長
「なんとか避難ができて安全を確保できたとしても避難所生活って想像を絶するような過酷な環境下での生活を余儀なくされてしまいますのでせっかく福祉避難所に避難してもそこで疲弊してしまう」
この課題とどのように向き合っていくか…
国はその後の2019年に発生した台風19号による避難生活も踏まえ、2021年に災害対策基本法の改正を行い、支援を必要とする人の避難計画を準備することを各自治体の努力義務に定めました。
例えば仙台市では、これまでは一度、指定避難所に避難したあとに「福祉避難所」へと移動する必要がありましたが、発災後に直接、福祉避難所に入れるような仕組みづくりを進めています。
しかし各地域がそれぞれ避難計画を準備するなか、それでも想定を超える被害が発生することがあります。
石川県・輪島市の介護老人保健施設・百寿苑は去年1月の地震で大きな被害があり、避難所として活用できなくなりました。
介護老人保健施設 百寿苑 船本貴宏副施設長
「この建物では水道もガスも使えない状態で非常に感染リスクも高いのと衛生上お風呂も入れないですし排泄もできないということで、1月13日からDWATの協力を得て随時、市外県外の施設に避難輸送が始まりました」
避難を受け入れられないだけではなく、入居していた利用者もほかの場所に移動する状態に。
もともと、輪島市は福祉避難所への取り組みが先進的な地域でした。
2007年3月、マグニチュード6.9の地震が起きた時、国の依頼によって初めて福祉避難所が開設されたのが輪島市です。
この経験をもとに、輪島市では27か所の福祉避難所を準備していましたが、去年1月の地震で開設できたのは11か所に留まりました。
船本さん
「東日本大震災もそうでしたし能登の地震でも、こうなってしまうと備えをしていても防ぐこともできないですし、震度7クラスの地震がきてしまうと手の施しようがないのが実情ではないのかなと」
準備していた福祉避難所が開けないとき、対象者は一般的な避難所に向かうこととなります。
その状況に備えて、防災に詳しい東北福祉大学の阿部利江講師は、どの避難所でも要介護者を支援できる整備や地域の連携が不可欠だと話します。
東北福祉大学阿部利江講師
「私たちは経験上公助の限界というのは突きつけられているので全てを託すのではなくて私たちができることって何なんだろうかというところで、どんなふうに(支援の輪を)広げていったらいいのかっていうところの共助があるので偏りなくバランスよく頑張れるような力であってほしい」
国や自治体を頼りながらも、自分たちでもともに支え合うこと。
そして、そのための訓練をする時には、災害後の避難生活を見据えた形にすることが大切だと指摘します
東北福祉大学阿部利江講師
「現状の防災訓練ですと指定避難所までに避難で終わったりとか避難所の開設で終わってしまうというのが多く見受けられていますので、その先に生活がどれくらい続くのかということを想定しながらの避難所の訓練が必要になってくる」